知っていたら教えてくれ(神は細事に宿る)

 家に入る時、靴を脱ぐ国脱がぬ国があるのは知っています。でもどの国がそうで、どの国がそうでないのかまでは知りません。大勢の他人と一緒に素っ裸でお風呂に入る国は日本だけでしょうか。これも知りません。日本人はジャンケンをする時、大体においてグーチョキパーを使うと思いますが、このやり方は他の文化圏ではどうなのでしょう。

  気になると、いろいろなことが外国ではどうなのか考えてしまいます。日本にある耳かきや爪楊枝みたいなものは外国にもあるのか、あるとしたらそれはどんな形をしているのか知りたいと思います。外国人は家の中でオナラをするか、鼻くそをほじるか、他人の前でも平気でするか、それも知りたいです。トイレで大をした後、紙を持った手は前から添えるのかそれとも尻の後ろからか、この割合に国ごとの差異はあるか、出来れば知りたいと思います。知りたいこと、気になることは次々ときりがありません。

 「する・しない・どんな」を、国ごとに一覧表にしたら分かりやすいと思います。「神は細事に宿る」と言います。くだらないことだと馬鹿にしてはいけません。本質は細部にこそあります。ちょっと意味を取り違えたかもしれませんが。
「fujinoyama.mid」をダウンロード ふじの山 ♪

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雪の朝、我が家から見た
富士山の遠景H24.1.24

下の公園の雪景色(下の写真)

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龍馬なのかそれともヒットラーなのか

 橋下徹と山口二郎の言い合いをテレビで見ました。橋下さんは相当カッカしていました。
学者は口で言うだけで現場を知らない、批判するだけで責任も取らない、そう言ってました。一理あります。言うのが学者の仕事だと、山口さんは言い返していましたが、多少分が悪かったようです。

 新しいことをやるのは大変です。既得権益を壊すのですから、敵も大勢作ります。出る杭は打たれるのが日本社会ですから、あら探しもされます。週刊誌で叩かれもします。失敗すれば、それ見たことかいい気味だと言われます。それでもなお、これが俺の仕事だと昂然と胸を張れる人は凄いと思います。橋下なら今の政治の閉塞感を打破してくれるだろうと、皆が期待するのも分かるような気がします。

 それでも、残念なことに私はああいうタイプが苦手です。外に向かって強気一本槍で、相手を徹底的にやりこめる攻撃型のタイプには、かなり厳しい又は偏った環境で育ってきた背景がある、その背景が彼のバネになっている、というのは私の分析です。彼は強い信念に基づいて突っ走ります。それは魅力であると同時に怖さも感じさせます。ハシズムという一部の批判も頷けるような気がします。それとも、彼の強気は戦術的にそう装っているだけなのでしょうか。だとしたら、たいした役者であり政治家だと思います。

 彼の行動は、日本の政治改革の端緒となるのでしょうか。それとも、これまでとは違ったものにまた飛びついて期待はしてみたが、やっぱり変わらなかったとただ失望するだけに終わるくらいならまだしも、取り返しのつかない惨憺たる状況へと「大阪都民」を導く結果となるのでしょうか。今の私には分かりません。
「yuki.wma」をダウンロード 雪♪(今、初雪が降っています)

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雪の中、ヒマワリが一生懸命
咲いていました。H24.1.20

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究極の無駄遣いの究極の責任

 「鍛冶屋の明晩、紺屋のあさって」ということわざをご存知でしょうか。約束の期日が来ても注文の品が出来上がらない、一日延ばし二日延ばしの言い訳をして約束を破っても平気でいることを言います。民主党マニフェストは今や崩壊状態です。子ども手当はかつての児童手当と同じようになってきました。高速道路無料化は廃止の方向へ進んでいます。度重なる制度変更により、無駄な事務経費がずいぶんとかかったことでしょう。長く中断されていた八ッ場ダムの建設は再開になりました。ストップしていたコンクリートをまたもう一度立ち上げるわけですから、かなりの余計なお金を遣うことになるわけです。普天間基地の移設場所は元の辺野古へ戻そうと必死です。無駄遣いとは違うかもしれませんが、沖縄県の理解と協力を得るための援助や補助金もかなりなものとなるでしょう。

 それでも私たちはあの時「風」を見て民主党を選択したのです。仕方ありません。その時の風向き次第で、政権党を代え総理大臣もコロコロ代えて、そのこと自体が究極の無駄遣いとなりました。無駄遣いをしたのは民主党ではありません。私たちです。期待に応えられなかった民主党にもその責任はありますが、責任の大半は選択した私たちにあります。無駄を省けと言った民主党を選んで、私たちはずいぶんと無駄遣いをしてしまいました。皮肉な結果となりました。もう一度言いますが、その責任は私たちにあります。
 風♪

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四季の森公園のロウバイと
下はなんかの赤い実
H24.1.7

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もっと早く知っておけばよかった

 年が明け、新春を迎えました。本年も宜しくお願いいたします。

 毎日放課後の小学生と遊んでいます。それが今の私の仕事です。小学生は、特に低学年は、年がら年中ふざけています、笑っています、走り転げ回っています、叫んでいます、いつもそうです。彼らはとりわけ鬼ごっこが大好きです。誘われていつも私が鬼にさせられます。追いかけるとキャアキャア言って逃げ回ります。追いかけられるのが嬉しいようです。だから特定の子どもだけを追いかけないように、みんな平等に追いかけるように私は気を配ります。

 家庭や学校で寂しい思い嫌な思いをしている子ほど、イライラして友だちや物にあたります。自分への注意を向けてもらおうと、あるいは自分を見てくれているかどうかを確認しようと、わざとやってはいけないことをします。不安なので、いつもそれをチェックせずにはいられないのです。そう頭では理解していても、子どもが問題行動を起こすと私はカッカします。思わず怒鳴りつけたりします。後で冷静になると後悔します、反省します、いつもその繰り返しです。頭ではなかなか感情をコントロールできません。だから私は時々自信をなくします。

 自分の子どもが小さい頃、同じような状況でした。どうしてうちの子はこんなにうるさいのか、言うことをきかないのか、いつも叱りつけていた記憶があります。自分の子どもだけでなく、世間一般の子どもが似たような状況だと当時知っていれば、もう少し違っていたでしょうか。小さな子どもたちから学べることは、まだまだたくさんありそうです。
 牛若丸♪

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なんか、おめでたそうな絵
(川崎大師の小さなお堂の天井に
描いてありました)

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年賀状の優柔不断

 年賀状を出す時期になると、いつも考えあぐむことがあります。この人は出そうか出すまいか思案するのです。双方共に出す、共に出さない、これなら安心できます。ところが、こちらが出していない人から年賀状が来てしまうと、当方は「しまった」と思います。反対の場合は、相手を慌てさせて「しまった」と思わせてしまうかもしれません。あとでそうなるのが嫌で思案するのです。

 退職するとお付き合いも減りますから、歳とともにだんだんと年賀状も減っていくのが自然だと思います。第一、いつまでもこちらが出し続けたら、相手も返事を出し続けなければならなくなり、ひょっとしたら迷惑をかけている恐れがあります。どこかで一区切りつけるのが礼儀かもしれません。                            

 一方、もらえば嬉しいのが年賀状です。郵便の年賀状はだんだんと減っているようで、最近はケータイによるメールの年賀状も多いと聞きますが、年配者にはどうでしょうか。年賀状は虚礼という人もいますが、ほとんどが印刷で手書きが少しでも、もらえばやはり嬉しいのが普通ではないでしょうか。だから余計に困るのです。特に私のような老人の場合なら、俺はまだ生きているぞという、年に一度の生存通知の代わりにもなります。

 年末に他にもっと考えるべきことがあるだろうと言われそうですが、出しても出さなくても私には思案が尽きない年賀状です。エイヤッ、と決められればいいのですが。

 
 今年は大変な災害がありましたが、来年こそはきっと良い年になるはずです。
 皆様、良い年をお迎えください。明年も宜しくお願いいたします。
 なかよし小道♪

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潘秀園(川崎)H23.12.18

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肥後守

 肥後守は簡易折りたたみ式ナイフで、日本で戦前から使われていました。このナイフが最近見直されているようです。静かなブームという声もあります。どこかの小学校では、これを新入生全員へ贈っているそうです。道具を使う緊張感を養う、集中力を高める、たとえ自分がケガをしてもその小さな痛みの中から他人を傷つけない使い方を学んでいく、新聞にもそう書いてありました。どうしてもっとたくさんの学校でこれを使わせないのかと、そう言いたげです。お説ごもっともです。ではそんなに良いこと尽くめの肥後守が、どうしてほとんどの学校では見掛けなくなってしまったのでしょうか。

 どんなに学校の指導が徹底していても、ナイフがあればそれを不適切に使用する子どもの存在を否定できません。ナイフを振り回す子どもも一定の確率で必ず出てきます。そして不幸にも、学校で子どもが他の子どもや教師にナイフでケガをさせると、これはニュースになります。マスコミは学校を責めます。教師は指導力不足を責められ、日頃の指導のあり方を問われれます。校長はその責任を問われ、警察からはもちろんのこと、保護者からもマスコミからも教育委員会からも釈明と説明を求められます。下手をすると保護者集会で吊し上げになり、校長は眠れない日々を過ごします。こうしてナイフは、今後その学校では使用禁止になります。

 どんな良いことにもそれなりのリスクがあります。そのリスクが現実のものになった時、今後それを避けるために、本当は大事なものが代わりに失われていったのです。その流れに抗しきれなかった学校と教育委員会にも責任はあります。でもはっきり言いますが、学校からナイフを追放したのは、一部の保護者と彼らを煽ったマスコミです。かつてそれに加担したマスコミに、今更のように肥後守の教育的意味など説かれたくはありません。お察しの通り、肥後守は他にもたくさんある中のほんの一例に過ぎません。
 お正月♪

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秋の名残(近隣で)H23.12.17

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国民の声はいつも正しいのか

 新聞紙上に、国政についてのアンケートの結果がよく掲載されます。回答するのはどんな人たちなのでしょう。好きか嫌いかといった類の質問は別として、経済や安全保障のような国の重要な政策の是非だと、私なら回答に困ります。本当のところは分からないからです。何となく感じられるムードや風潮、新聞記事の受け売りでしか判断できません。従って私の回答はかなりいい加減なものになるはずです。他の人の回答もだからいい加減とは言いませんが、正直やはり気になります。

 各自が自分の知識の範囲内で、あるいはその政策の直接の利害関係者なら自分の立場で回答すればよいわけで、これはこれで構わないのかもしれませんが、なんとなくすっきりしません。それでなくてもアンケートは、ひとたび結果が出ればその数字は力を持ち一人歩きしていきます。そういう力を持たせるために、結果を一定方向へ誘導しようとする意図が仕組まれたアンケートだって、ないとは言えないでしょう。

 その結果が国民の声だと考えれば、議員さんたちはその方向で動き出すでしょう。でもそれは本当に国民の声だったのでしょうか。国民の声だったかもしれませんが、全体と将来を考えた「正しい国民の声」だったのでしょうか。私たちは単純化された政策や言葉に飛びつく傾向はないのでしょうか。誰かを悪者に仕立てて、分かり易いところで安易に結論を求めているところはないのでしょうか。アンケートにかこつけて、もちろん私は選挙の投票のことも言っているのですが。
 はやおき時計♪

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高尾山 H23.12.4

晴れた日でよく富士山が見えた

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やっぱり二宮金次郎

 東大生たちの親の年収グラフというのを見たことがありますが、見なくても中味は想像できます。犯罪を犯した人たちの親の年収グラフというのは見たことがありませんが、こちらも想像はできます。少々皮肉な例え話ですが、お金持ちの家の子どもは親が作ってくれた恵まれた環境の中で勉強して、将来は検事や裁判官になります。そして貧乏な家の子どもから成長した犯罪者を裁く立場になります。貧しくても頑張って立派な立場になった人もたくさんいることはもちろん承知していますが、割合と傾向の話ではこうなります。

 親による我が子への虐待事件が相次いでいます。そうした親の多くは、貧しい20歳前後の若夫婦です。虐待を受けた子どもは、やがてそのストレスを学校で発散させます。親には見放され、学校では問題行動を起こし、先生には叱られっぱなしの日々を過ごします。学習も進まず自尊感情を持てずに社会を恨むようになり、やがては犯罪に走ります。結婚して子どもが生まれても、自分がかつて育てられたようにしか育てられませんから負の連鎖になります。子どもは親を選べませんが、親のハンデは子どものハンデとなって連鎖します。

 子どもを持った貧しい親に、具体的な教育支援はできないのでしょうか。生活保護費のような一括支給ではダメです。その中に入っているはずの例えば修学旅行費用などは、一部のダメ親だと酒代や遊興費に消えてしまう可能性があります。子どもの教育費用を別建てで支給して外部機関が管理する、出来れば学用品などの現物で支給する、参考書購入専用の図書券を配布する、美術館や音楽会の無料チケットを配布する、学習塾の費用を補助する。お金持ちの家庭で子どもにしてやっていることの一部でも、貧乏な家庭でも子どもにしてやるようにはできないものでしょうか。

 自分の責任ではないところに、生まれついてのハンデを背負っている子どもたちがいます。彼らに学習機会を保障し、努力次第で向上できるという夢や希望を持たせるのです。貧しくても努力で成功した人物の物語をたくさん聞かせるのもいいでしょう。それならやっぱり二宮金次郎です。   二宮金次郎♪
 

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よく行く小学校の金次郎さん
柵に入れられ、ちょっと気の毒

参考:「手本は二宮金次郎」H23.1.7
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-84fc.html

風邪を引けば芸術家になれる、かも

 偉大と言われるほどの芸術家には特異な才能や感覚が突出しています。このため、普通の人にとっては往々にして彼らが変人に見えてしまうかもしれません。実際に、狂気の大天才と言われるような芸術家たちもいます。

 風邪などを引いてウィルスが体内に入ると、異変を察知した脳がこれに対処するため体の各所に様々な指令を出します。発熱はそのひとつだと思います。その時、脳内の様々な神経伝達物質も働きます。この伝達物質のうちのあるものには、人の感覚や感受性を鋭敏にする働きがあるようです。病床から見上げる天井板の節目や模様に奇妙な姿形を見たり、病床で聴く音楽に涙もろくなったりすることがあります。伝達物質の働きで一部の感覚が異常に研ぎ澄まされ、一時的に芸術家の領域に少し足を踏み入れるようです。特に音楽や絵画の分野にLSDなどの麻薬を使用する人がいるのもこうした理由からでしょう。感覚や感受性を薬物で人為的に高めているわけです。

 病気になると音楽がいつもより美しく聞こえる。これは昔、高木東六が言っていました。普通の人でも簡単に芸術家(もどき?)になることができます。風邪を引いて熱を出せばいいのです。うなされるくらいの高熱を出せば、普段は聞こえないものを聴き、見えないものを見ることができるかもしれません。芸術家の仲間入りです。
  秋♪

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国営昭和記念公園 H23.11.26

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「不安」が夢の中で目を覚ます

 私の夢には明らかに傾向があります。空を飛ぶ夢では、最初はうまく飛んでいたのにだんだんと低空飛行になり、終いにはいくら激しく両手で羽ばたいても落ちそうになります。ピストルを撃つ夢では、引き金のところがだんだんと小さくなり指が入らなくなります。敵が目の前に迫ってくるのに、ピストルが撃てません。結婚式に招待された夢では、祝儀袋や白ネクタイを忘れてどうしようかと焦ります。車に乗っている夢では、ブレーキを踏もうとしますがペダルまで足が届かず、一生懸命足を伸ばそうと焦ります。

 最近よく見る夢では、どういうわけか私はまだ教職に就いています。今日この後、授業があることに急に気づきます。ところが教案をまるで考えていません。どうしようかと焦ります。一番嫌な夢は道に迷う夢です。しょっちゅう見ます。自宅へ帰る道を歩いていますが、途中でどうしても帰る道が思い出せません。よく見知った道のはずなのに、雰囲気が微妙に違っていて分からなくなります。絶望的な気持ちになります。

 これらの夢に共通しているのは明らかに「不安」です。その「不安」が何に由来しているのか自分なりに分析はできているつもりですが、だからと言って夢の中までコントロールできるわけではありません。私が目を覚ましている間は潜在意識の中に抑圧され眠っていた「不安」が、私が眠った時に私の夢の中で解き放たれ目を覚ますのでしょう。どうやら私の脳はこうしてバランスを保っているようです。大抵の人は夢を見ても忘れてしまうようですが、私はかなり覚えています。皆さんはどんな夢を見ているのでしょうか。
   お家忘れて♪

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昭和記念公園 H23.11.26

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