2020年7月14日 (火)

あいまい文化(突き詰めない日本人)

小利口(小馬鹿)、小綺麗(小汚い)、小賢しい、小生意気、小難しい、小粋。小で始まる言葉は結構たくさんあります。小耳、小鼻、小首、小腹、小一時間などもあります。小を使うことで意図的に少しポイントをずらし、曖昧さを保ちながらそこに別のニュアンスも加えています。ストレートは野暮だ避けたいという気持ちも窺えます。

曖昧なジャパニーズ・スマイルは、外国人からは不可解と言われます。親族の葬式でさえ微笑む日本人の心情は、確かに外国人には理解が難しいかもしれません。相手を同じ悲しい気持ちにさせまいという配慮や、他人に自分の悲しみをストレートに見せることへのためらいは、日本人に独特の心情でしょうか。ストレートなリアルさを競う西洋の蝋人形に日本人がやや違和感を覚えてしまうのも、多少はこれと関係があるかもしれません。

私たちは家族でクリスマスを楽しんだあと、初詣に神社へ行き、お葬式の時はお寺さんを頼ります。こだわりが少なく、曖昧なまま吸収し消化する文化です。主張が弱く不明確で玉虫色のため誤解を受ける可能性もありますが、自他を追いつめずに妥協と言い訳の余地を残します。自分にも相手にも優しく協調性にすぐれます。ずらしてぼかして曖昧さを残すのは、日本人と日本文化の主要な構成要素の一つのような気もします。

日本的なものへの反省や批判はいくらでも耳にしますので、良い点にもふれてみようと試みました。が、どうもうまくいかなかったようです。お後を宜しく。

 

2020年7月10日 (金)

マスクをする、しない(三者三様)

中国は共産党の一党独裁だから政府の統制が効く。国民は政府の言うことを聞く。聞かざるを得ない。マスクをしなければいけないなら、罰せられるから一人残らずマスクをする。コロナ抑止に効率的。その代わり国民の自由はない。

アメリカは民主主義国家だから、個人個人の自由な判断に基づいて国民は行動する。政府がマスクをした方がいいと言っても、国民の多数はそれに従わない。大統領だって従わない。結果、多数の国民はマスクをしない。国民の自由はあるが、コロナ抑止に失敗する。

日本はどうか。一応、民主主義国家。政府の統制は効かない。だから、政府は国民の自粛を呼びかける。国民の判断に任せる。政府は国民の民度(実は同調性)に期待する。他人に迷惑をかけると案じて、あるいは後で責任を問われるのはマズイと心配して、国民はみなマスクをする。結果、コロナ抑止に効果的。政府に対しては自由はあるが、世間に対しては不自由。マスクをしなければ、罰則はないが世間から袋叩きにあう。三者三様。

ベランダのゴーヤ(あとは大きくなるのを待つだけ)2020.7.7
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2020年7月 7日 (火)

数の数え方

英語の数えられる名詞と数えられない名詞、複数形の作り方とその発音、英語を習いたての生徒にはかなり面倒な学習です。でも日本語の数え方に比べれば、英語のそれは何ということはありません。日本語を学ぶ外国人にとって、日本語の数の数え方ほど面食らうものはないのではないでしょうか。

紙は1枚2枚と枚で、木は1本2本と本で数えます。車は台、本は冊、椅子は脚、服は着で数えます。同じ生き物でも虫は匹、魚は尾、鳥は羽、大きな動物は頭で数えます。まだまだたくさんあります。私などは魚も匹ですし、匹なのか頭なのかよく分からない動物もたくさんいます。帽子や墓や硯にも数え方があるようですが、これも分かっていません。分からない時は、とりあえず1個2個か1つ2つで済ませます。日本人の私でもそうですから、外国人はもっと分からないでしょう。

「1・2・3・4」は「いち・に・さん・し又はよん」と読みますが、「1つ・2つ・3つ・4つ」では「ひと(つ)・ふた(つ)・みっ(つ)・よっ(つ)」、「1個・2個・3個・4個」では「いっ(こ)・に(こ)・さん(こ)・よん(こ)」、「1人・2人・3人・4人」では「ひと(り)・ふた(り)・さん(にん)・よ(にん)」です。同じ1・2・3・4でも使い方で読み方が変わります。さらに、「1本・2本・3本・4本」は「(いっ)ぽん・(に)ほん・(さん)ぼん・(よん)ほん」のように、同じ本がぽんほんぼんと読み方が変わります。日本語を学ぶ外国人は怒り出さないのでしょうか。

こうした数の数え方は煩雑で面倒ではありますが、日本語の豊かさの現れでもあります。それは日本人の感情の豊かさや細やかさに結びつき、日本文化の多層や伝統を示すものと言ってもよいのではないでしょうか。とりわけ、「1個上の学年」とか変な言い方をよく耳にする最近は、特にそう思います。「1個」上の学年ではなく、「1個上」の学年という変なイントネーションで聞けば、尚更にそう思います。 

<今日のメロディー>
七夕さま♬
https://youtu.be/3WSglvq06Go

2020年7月 3日 (金)

細菌も人も星も

人間の体内には微生物の一種である細菌が無数に住み着いています。常在菌というそうです。特に腸内には、一人あたり100種類以上、数で約100兆個もの腸内細菌が住んでいます。成人一人に存在する腸内細菌の総重量はおよそ1.5㎏で、一列に並べると地球2周半もの長さになると書いてありました。1個では目に見えない細菌ですので、想像を超える数であることが分かります。彼らは宿主(人)が摂取した食物に含まれる栄養分を栄養源として生活し増殖しています。

体内に住む細菌のうち、人の健康維持に貢献する「善玉菌」は20%、人に害を及ぼす「悪玉菌」が10%です。「善玉菌」は人にエネルギー源を供給したり、外部から侵入した病原細菌の増殖を防いだりしてくれています。「善玉菌」「悪玉菌」以外は、良い働きも悪い働きもする「日和見菌」と呼ばれ、これが70%を占めています。

ただ面白いのは、「善玉菌」でも他の菌と作用し合うと悪さをするヤツがあったり、「悪玉菌」でも状況次第では良い働きをするヤツもあったりすることです。なんだか私たちにとてもよく似ています。異なった種類の細菌が、お互いにせめぎ合いながらもバランスを保って生態系を築いています。お互いが共生すると同時に、宿主である人とも共生しています。このバランスが崩れると、宿主(人)が病気になります。

私たち人間も、地球という殻に住み着いている一種の微生物のようです。善人、悪人、日和見人がいて、相互に作用し合いながらバランスを保ち、他の種類の生き物とも共生しています。このバランスが崩れると、戦争になったり地球環境が破壊されます。地球の病気です。そして地球自身も、太陽から恩恵を受けながら、他の星々ともバランスを保ちつつこの宇宙で運動し存在しています。体内の細菌も人も星も、それぞれの宇宙の中でバランスを保ちながら一生懸命に生きています。

<参考>
「宇宙・SF」編バックナンバー
nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-b1a44b.html

あとは色づきを待つだけ(ベランダのミニトマトとブラックベリー)2020.6.29   
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2020年6月30日 (火)

省く人

最近の結婚式では仲人さんを立てません。結納結婚式披露宴新婚旅行といった、結婚の流れ自体がなくなりつつあります。親しい友人だけが集まって、会費制のお披露目パーティーをやるくらいでしょうか。それすらやらず、新生活の準備に費用をかけるといった現実派がどんどん増えているようです。そもそも若い人が結婚しません。結婚自体が難しい世相です。たとえ結婚するとしても、若い人たちの暮らし向きが苦しくて、とても昔のような形で結婚式を挙げるのは経済的にも無理、といった事情もあるのでしょう。

お葬式の方も簡素化簡便化が進んでいます。通夜告別式を昔のような形式でやる人が激減している感じがします。家族葬とか直葬がどんどん増えています。お墓も昔のようなお墓はなくなりそうです。墓石の代わりに記念樹を植える樹木葬とか、遺灰を海に撒いてもらうだけの散骨葬も出てきました。家族親類が故人を偲ぶ○○回忌もなくなる傾向かもしれません。

年賀状を出す人が年々少なくなっているとニュースで言っていました。年賀状がそうなら暑中見舞いはもっとそうでしょう。出来上がりのおせち料理が最近はあちこちで売られています。手作りのおせち料理はもう影が薄いことが分かります。門松や元旦の国旗掲揚もほぼ絶滅です。だいいち久しい以前に個人の家に国旗はなくなっています。節分、雛祭り、端午の節句、七五三だっていつまで続くか怪しいものです。

形式を省くとか合理性とか言いますが、要するにお金もかかるし面倒だ、というのが本音でしょう。そしてもうひとつ、人と人との直接的な交流が少なくなっていることも背景にあるように感じます。新型コロナがその動きを加速させました。それでいてバレンタインだハロウィンだクリスマスイルミネーションだと、軽いノリで騒げる洋モノは隆盛です。コミュニケーションの希薄さをかろうじて洋モノで補っているのでしょうか。省く人も本当は寂しいのかもしれません。

あとは色づくのを待つだけ(ベランダのミニトマトとブラックベリー)2020.6.29
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2020年6月26日 (金)

待ち遠しいロボット

我が家では部屋の掃除は私の仕事です。掃除機を使って各部屋(と言っても数は少ない)を掃除します。もし私が死んだら、「お掃除ロボ」を購入すると妻は言っています。これを使えば、文句も言わずに留守中だってきれいに掃除をしてくれるから、だそうです。

衝突の危険を感知して、自動的にブレーキがかかる装置が最近の車には取り付けられています。目的地を入力すれば、自動運転でそこへ連れて行ってくれる車も開発されています。携帯自動通訳機みたいなものも、どんどんその能力が向上しています。将来は補聴器のように小さくなるでしょう。

会社の受付には来社した人に説明してくれる「案内ロボ」がいます。大規模自然災害に備えて「レスキューロボ」の開発が進められています。瓦礫の下から人を見つけて救い出してくれます。次の大地震では活躍してくれそうです。介護の現場では既にぬいぐるみのオットセイが高齢者と応答し、老人たちに癒しを与えています。「介護ロボ」が人間に代わってきつい介助作業をやってくれる時代もすぐそこです。手術の切開から縫合までをやってくれる「医療ロボ」ができれば、手術の上手な医師を捜す手間もなくなります。もうすぐです。

先日、「富岳」という日本のスーパーコンピュータの計算速度が世界第1位に輝きました。コンピュータの能力が向上し、ロボットが人間の代わりをしてくれる時代になりつつあります。その応用範囲がどんどん広がっています。「お掃除ロボ」があるなら「お政治ロボ」だってあっていい気がします。経済政策の立案や利害関係の調整は政治家の主な仕事ですが、条件や情報を入力すれば、最適解の予算案や法案を「お政治ロボ」が導き出してくれるような時代も来るでしょう。そうなれば政治家も要らなくなります。

<今日のメロディー>
雨降りお月さん♬
https://youtu.be/mZUY3m9j2AQ

2020年6月23日 (火)

このゴミの処理はどうするの

メール、ホームページ、ブログ、ツィッター、フェイスブック、ユーチューブ。他にもまだあるかもしれませんが、疎い私には分かりません。毎日吐き出される膨大な量の情報が、ネット上で溢れかえっています。何度も繰り返し検索され活用される情報がある一方、一度読まれたら二度と読まれない情報もあるでしょう。と言うより、ほとんどの情報が一回ぽっきりでしょう。誰も読まない二度と活用されない情報は、まあそう言ったら失礼ですがゴミです。最終的にはどうなるのでしょう。一定の期間が過ぎたら、こうした情報はネット上から自然消滅するのでしょうか。それとも永遠に垂れ流され続けるのでしょうか。例えば私のブログ記事は、私が死んだ後も幽霊のようにサイバー空間を漂い続けるのでしょうか。だとすればいい迷惑です。

世界各国がこれまで打ち上げた人工衛星やロケットの残骸破片が地球の周りを漂っています。その数は小さいものを含めると数千万個だそうです。増える一方の宇宙ゴミです。太陽系第三惑星の地球から、人類が発した各種電波が光速で宇宙空間に向かってはき出され続けています。この量も半端ではありません。地球から排出された膨大な量の電波は、最終的にはどこへ行き着くのでしょう。自然消滅するのでしょうか。宇宙に1000億以上ある銀河のうち、私たちの銀河のすぐお隣の銀河まででも、光速で230万年かかります。どこかで宇宙の知的生命体にキャッチされるまで、電波も宇宙空間を永遠に漂い続けるのでしょうか。キャッチした宇宙人が光速の探査機を出しても、地球に到達するにはもう230万年かかります。そうしてようやく発見するのは、地球文明滅亡後の瓦礫の山の人類遺跡かもしれません。そうなれば、地球丸ごとが宇宙のゴミです。

原発の汚染水や汚染土嚢もそうです。処理の仕方とかなるべく出さない工夫とか分別とか、考えなくてもいいのでしょうか。

<今日のメロディー>
かたつむり♬
https://youtu.be/8rYe8NSWEUQ

2020年6月19日 (金)

死ねなくなる時代

将来の病気や障害に備え、あらかじめその人のiPS細胞を作成培養しておきます。臓器、皮膚、骨等の各パーツとして、移植可能な状態にまで形成させて長期保存します。いざ必要になった時点でその人に提供します。なんていう時代も、やがては当たり前にやってくるでしょう。人の遺伝子を操作して病気を治す遺伝子治療というのもあります。もう既に行われています。遺伝子を解析することでその人に将来起こり得る病気を予測して、あらかじめその可能性を排除しておくことも可能になります。医療技術も医療機器も医薬品も日進月歩です。すごい時代になりました。

人の寿命は生物学的には120歳あたりが限界のようですが、このぶんではもっと伸びそうです。生物種が繁栄を維持し続けるためには循環が必要です。前の世代がずっと生きていることは、恐らく生命としては想定されていないでしょう。その種が長命になればなるほど、実は絶滅への道を辿っているのかもしれません。パラドックスです。

未来のいつの日にか、人は何で、そして何歳で死ぬことになるのでしょう。それ以上に、私たちにとってより根源的な問題は、ずっと死なないでいることはたとえ健康であったとしても本当に幸せなのか、ということです。どこまで生きることを希望するか、その選択をどの個人もが迫られる、そういう時代がやがてやってくるのでしょうか。

「ああままよ 生きても 亀の100分の1」 (一茶)
この辺りが丁度よい人生ではないかと私は思いますが。

<参照>
◎公益社団法人有料老人ホーム協会 第18回シルバー川柳入選作品から
*突然に 医者が優しく なる不安
*三時間 待って病名 加齢です
*いびきより 静かなほうが 気にかかり
*年上が タイプだけれど もういない
*未練ない 言うが地震で 先に逃げ
*味のある 字とほめられた 手の震え

<参考>
「定年後・高齢化社会」編バックナンバー http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-767460.html

薬師池公園 2020.6.17
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2020年6月16日 (火)

フランダースの犬(私たちはなぜ敗者に心を動かされるのか)

貧しい少年ネロとその愛犬パトラッシュの物語は、日本ではずいぶんと人気があります。それまで見ることができなかった大聖堂の有名な絵画を最後に一目見て、ネロとパトラッシュは共に息を引き取ります。有名なラストシーンですが、この物語の舞台のベルギーでも原作者の母国のイギリスでも、このお話はあまり知名度も人気も高くないようです。そればかりか、この少年と老犬の死は彼らには「負け犬の死」と映るようなのです。どうして私たちとこうも感性が異なるのでしょう。

オリンピックや高校野球の選手の肉親が新聞記事によく登場します。肉親の大半は最近亡くなったばかり、又は闘病中のことが多いようです。たとえ試合に敗れても、そうした家庭の逆境にも挫けず、健気に頑張った選手の姿が読者の共感を呼ぶようです。負けたチームが甲子園の土を袋に詰めるシーン。箱根駅伝で、フラフラになっても懸命に前へ進もうとするシーン、タスキを渡した後に体力が尽きて倒れ込むシーン、自校のタスキが次の走者につなげずに責任を感じて悲嘆にくれるシーン。TVカメラはこうしたシーンをひたすら追いかけます。そうしたシーンに私たちが共感するのを知っているからです。やがては死を迎える闘病は、純愛や家族愛とセットになりやすい物語の一大要素です。私たちは健気な敗者や死者にとりわけ心を惹かれるようです。実は私もそうです。

咲いている時ではなく、散る時の桜に美意識を感じるのも同じです。負けや死を受け入れた者の健気さや潔さに私たちは心を動かされます。この感性の源流を辿ると、切腹の所作に象徴される武士道と滅びの美学に行き当たります。代表は四十七士です。もっとあとの神風特攻隊にも滅びの美学が見え隠れします。

この感性は私たち日本人だけのものなのでしょうか。そしてそれはいったいどこからやって来たのでしょうか。


<公益社団法人有料老人ホーム協会 第18回シルバー川柳入選作品から>
*突然に 医者が優しく なる不安
*三時間 待って病名 加齢です
*いびきより 静かなほうが 気にかかり
*年上が タイプだけれど もういない
*未練ない 言うが地震で 先に逃げ
*味のある 字とほめられた 手の震え

夕暮れが懐かしい、なんとなく 2020.6.10
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2020年6月12日 (金)

漢字の間違いくらいで文句は言わない

麻生さんが首相在任中のことですが、彼の漢字の誤読が一頃話題に取り上げられました。未曾有を「みぞうゆう」、踏襲を「ふしゅう」などです。マスコミに叩かれ、首相としての資質を問われました。漢字の読める人も、本当は読めない人も、みんなで彼を笑い者にしました。たまたま当時首相だったので、私は気の毒だなと思いました。 

漢字の間違いくらいは誰にでもあることです。話のプロのアナウンサーも間違えます。私は小学校時代、教師の漢字の読み間違いを指摘して得意になったことがあります。そういう私は、あろうことか自分自身の名字の漢字を長いこと書き間違いしていました。それを指摘され、そんな馬鹿なと辞書を調べて自分の間違いを知りました。とうに50歳を過ぎた頃でした。愕然としました。

名字はともかく一般の漢字なら、自分の読み方書き方が正しいと固く信じて、他人の間違いを指摘したつもりで実は自分の方が間違えていたことに気づかされた、という人もいるかもしれません。たとえこちらが間違えても、恥をかかせてはいけないと周囲の人が気遣って指摘してくれない、ということだってあるかもしれません。油断はできません。

知己の読み方は、本当は「ちき」なのに「ちこ」と誤読か、本当は「ちこ」なのに「ちき」と誤読か、一瞬私は記憶が混乱します。だから知己を読むとき一呼吸置きます。そんな私ですから、他人の漢字の間違いくらいで文句は言いません。一呼吸置いてそっと優しく指摘してあげます。いつも私の方が正しいとは限りませんので、優しくかつ恐る恐る指摘してあげます。

ベランダのランタナ 2020.6.9
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«私はクモを殺しません(「ホンチ遊び」はまだ残っているか)

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