流されないために
新聞やテレビは大衆報道機関の代表ですが、そこでは報道内容が商品ですので、それを読んでもらう、見てもらうことが、彼らの最も基本的な経営方針となります。従って、いきおい内容は刺激的となり、ある現象の一部分をつまみ上げて拡大し、それを面白おかしくセンセーショナルに仕立て上げるといったことも起こり得ます。そのような切り口の記事を人々が望んでいる、と記者が思って書いているわけです。そうした内容のものが報道されることを望んでいる人々や、そうした視点で書かれた記事を支持する人々が数多くいる、と見て取った報道機関の判断があったのだと思います。読者の過半がどのレベルにあると報道機関が判断しているのかも、これである程度わかります。
こう考えていくと、我々にもきちんとした構えを作っておくことが大切な気がします。大衆報道機関が掲載する記事、報道する内容の意図を推察し、報道されたことや数多くの人々がそう望んでいる(と報道機関が考えた)ことと、本当の姿や本当に望ましいこととは必ずしも一致しないという認識が必要でしょう。さもないと、無批判に受け入れた報道に一喜一憂し、後になってから失望や怒りだけが出てくることになります。信じた時も騙されたとわかった時も、人々が一つの方向に一気に流れていく危なっかしさを、最近特に感じます。(19/37)
事情があって1ヶ月ほど家を留守にしますので、12月上旬まで「あまだれ」はお休みします。と言っても、私のブログを読む人はもともとほとんどいませんので、どうということはありません。
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