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2008年12月

「今」を見つめ直す

  人間以外の動物はほとんど「今」しか考えませんが、人間は「過去」や「未来」ばかりか、「死後の世界」まで考えてしまうわけですから、やはり他の動物とは違うわけです。でも、人類が直立歩行を始めるよりもっとずっと以前には、やはり「今」しか考えられない時代がきっとあったのではないかと想像します。人間の持つそのもっとも動物的な原始の部分が、今でも脳の最も奥深い根幹的なところに残っていて、そこが生きている人間に「死」を日常的には意識させずに、「今」を積極的に生きるようにプログラミングしているように思います。

 私自身も「死」を日常的にはまだ意識していません。自分もやがては消えていく存在だということを頭では分かっていますが、正直のところあまり実感としてとらえることはできません。「死」はどこか他人事なのです。若い頃は特にそうでした。でも、やはり自分の年齢のせいなのでしょうか、人の一生とか命をどうとらえるか、遅蒔きながらこの年になって、特に他人の葬儀に出る度に少しは考えるようになりました。自分にとってはとても重たい、荷の重すぎるテーマですが、その人の人生観とこれほど密接につながったテーマはないとも言えます。だからこそ、これが宗教上や哲学上の最重要のテーマにもなるのでしょう。

 自分が生まれる以前と、自分が死んだ後には、それぞれ気が遠くなるような時の流れがあります。自分の「生」は、永遠とも言うべきこの二つの時の間に挟まれた、ほんの瞬きの一瞬にもなりません。自分が存在しない時の方がここでは普通の状態ということですから、自分自身の「生」はむしろ「特異な時」となります。こういうことを考えていると、日常の悩みや煩わしい現実から離れて、少し違った角度から「今」を見つめ直すことができます。「死」を考えることは、結局のところ今の「生」を考えることにつながります。私もあとどのくらい生きられるのか分かりませんが、今日一日の貴重な「生」を、もっと大切にしていきたいと思います。でも、明日になるとそんなことはすぐ忘れ、きっとまた小さなことにくよくよと悩んでいる自分がいるだろうということも、よく分かっています。(17/7)

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赤穂事件から学ぶこと

  元禄15年の12月14日は、赤穂浪士四十七士が吉良邸へ討ち入りをした日です。
事件の後、赤穂浪士の処分について幕府内では相当な議論があったようです。彼らの行動を武士の鑑とみての「助命論」や、幕府の威令や法秩序を守る立場からの「切腹論」などです。しかし庶民は圧倒的に浪士支持でした。時の将軍は五代綱吉で、老中は柳沢吉保でした。彼らの処分に関して、幕府の実質的な最終判断は誰が下したのかよく知りませんが、その判断如何によっては、庶民だけでなく、武士階級にまで及ぶ共感的な浪士支持の世論を敵に回しかねなかっただろうと想像できます。最終判断は「斬首」ではなく、「義士として切腹」としたあたりに幕府の配慮が見られるとはいえ、太平の世に47名もの武士の命を一度に奪うのですから、幕府としては相当な決断が必要だっただろうと想像します。「切腹」という結果が義士としての名声や名誉を更に高め、それを今日に至るまで固定化させたわけですので、幕府のこの時の判断は正解だったと言えそうです。

  翻って今の日本の政治家を見た時、果たしてこうした苦しい決断が下せるだろうかと思ってしまいます。彼らは世論の動向にばかり目がいっています。当面の選挙に有利不利が、行動の判断基準になっています。政治家のちょっとした失言を、まるで鬼の首をとったかのように騒ぎ立てるマスコミの煽動。国民の憤りや失望を見込んだ野党の政府攻撃。もういい加減うんざりです。勿論、世論の動向を見るのは大事なことですが、時には、国民の顔色を窺うだけでなく、「世論に迎合しない」大局的な決断があってもいいと思います。
   少し飛躍があったかもしれませんが、12月14日にちなんで、今回は赤穂事件から学べることをテーマにしました。

  1ヶ月半ほど「あまだれ」はお休みをしましたが、今日から再開します。週に1回の「あまだれ」で、相変わらず独り善がりな内容ですが、お付き合いいただければ幸いです。

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