「今」を見つめ直す
人間以外の動物はほとんど「今」しか考えませんが、人間は「過去」や「未来」ばかりか、「死後の世界」まで考えてしまうわけですから、やはり他の動物とは違うわけです。でも、人類が直立歩行を始めるよりもっとずっと以前には、やはり「今」しか考えられない時代がきっとあったのではないかと想像します。人間の持つそのもっとも動物的な原始の部分が、今でも脳の最も奥深い根幹的なところに残っていて、そこが生きている人間に「死」を日常的には意識させずに、「今」を積極的に生きるようにプログラミングしているように思います。
私自身も「死」を日常的にはまだ意識していません。自分もやがては消えていく存在だということを頭では分かっていますが、正直のところあまり実感としてとらえることはできません。「死」はどこか他人事なのです。若い頃は特にそうでした。でも、やはり自分の年齢のせいなのでしょうか、人の一生とか命をどうとらえるか、遅蒔きながらこの年になって、特に他人の葬儀に出る度に少しは考えるようになりました。自分にとってはとても重たい、荷の重すぎるテーマですが、その人の人生観とこれほど密接につながったテーマはないとも言えます。だからこそ、これが宗教上や哲学上の最重要のテーマにもなるのでしょう。
自分が生まれる以前と、自分が死んだ後には、それぞれ気が遠くなるような時の流れがあります。自分の「生」は、永遠とも言うべきこの二つの時の間に挟まれた、ほんの瞬きの一瞬にもなりません。自分が存在しない時の方がここでは普通の状態ということですから、自分自身の「生」はむしろ「特異な時」となります。こういうことを考えていると、日常の悩みや煩わしい現実から離れて、少し違った角度から「今」を見つめ直すことができます。「死」を考えることは、結局のところ今の「生」を考えることにつながります。私もあとどのくらい生きられるのか分かりませんが、今日一日の貴重な「生」を、もっと大切にしていきたいと思います。でも、明日になるとそんなことはすぐ忘れ、きっとまた小さなことにくよくよと悩んでいる自分がいるだろうということも、よく分かっています。(17/7)
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