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2009年2月

自動思考

  考え方のクセというのが誰にもあるということです。「自動思考」というそうです。うつ病の治療方法の一つである認知療法の中で、この言葉がよく出てきます。うつに陥りやすい典型的な「自動思考」は、私にもあるようです。その最たるものは、起きた出来事の意味を悪い方向に解釈するということです。自分に投げかけられた他人の言動への解釈も、賞賛は過小に、批判は過大にと、マイナスと不安の方向へ流れがちです。良く言えば用心深いということですが、悪く言えば猜疑心が強いということになります。

  それを実際以上に悪い方向でとらえて準備するのは、それが実際に起きてしまった時の自分のダメージを少しでも小さくしておきたい、これも想定の範囲内だったと思えるようにしておきたいという、つまりは自己防衛のなせるわざではないでしょうか。

  物事をやや悲観的に考える傾向は、多くの日本人に共通しているような気がします。例えば日本人の貯蓄率の高さも、このことと関係があるかもしれません。最近は若年層の低年収化と団塊層の預貯金取り崩しもあり、日本人の貯蓄率も低下しているそうですが、日本人が消費よりも貯蓄を優先する傾向は変わっていないようです。今回の金融危機では、本来の危機の出所のアメリカよりも、日本は金融財政的にははるかに健全のはずでした。ところがその後の日本の経済指標のいくつかは、日本がアメリカやヨーロッパの多くの国々より、より大きなダメージを受けてしまっていることを示しています。経済の動きは、例えば株価を筆頭に、人間の心理に大きな影響を受けます。ここでも、心理的に先行き不安を感じる度合いが、どうも日本人の方が大きいことを示しているような気がします。

  首相が誰に替わっても、自民党議員の先行き不安は収まらないでしょう。替えろという声がまた出るに決まっています。国民の人気なんてものに期待して、軽く決めるからいけないのです。政権政党が民主党に替わって、首相が小沢さんに替わっても、国民の不安はまたぞろ出てくるでしょう。日本人はいつも先行き不安なのです。そもそもこれが日本人の「自動思考」なのですから。

2009_02160036 (←湯河原梅林(幕山公園)の梅)H21.2.15)

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世界平和を実現する秘策

  世界の指導者たちを全員一カ所に集めます。集合場所はアフリカの貧しい国の片田舎がいいでしょう。できれば電気も通らないところが最適です。指導者たちを7人程度の小グループに分けて班編制します。班内の互選で、班長、保健係、炊事係、学習係などを自分たちで決めさせます。班長を中心に班内で協力して、最低1週間程度の集団生活を行います。合同宿泊訓練です。もちろんケータイは持ち込み禁止です。1週間も国を留守にできない、俺は忙しい、などと言って参加を拒否することはできません。なにしろ、世界平和を実現するためですから。

  テントを自分たちで協力して組み立て、寝る場所を確保します。かまどの火をおこし、食事も協力して自炊します。水は歩いて1時間以上のところにある井戸から、毎日当番が汲んできます。こうして寝食を共にします。毎日、学習の時間も設けられ、現地の人たちの生活や文化について学びます。自分たちが現地の人たちの生活を向上させるために何ができるか、班内で討議も行います。最後に全員がレポートを提出します。

  みんなで協力しないことには食事もできませんから、否応なく協力作業をすることになります。出身の文化が違い、もともと個性も強い面々が揃っていますから、最初はきっとケンカもあるでしょう。ひょっとすると、イジメもあるかもしれません。でも班内で協力しないことには集団生活は維持できませんから、結局ケンカもイジメも収束するはずです。

   1週間が終わる頃、みんなきっと仲良くなっています。協力することの大切さや、相手の立場や意見の尊重や、考え方や文化の違いも理解するようになっているでしょう。アフリカの貧しい国の人々の生活を実体験することで、戦争の愚かさにも気づくはずです。こうして1週間の最後の日、全員が友情を確かめ合い、涙を流して別れを惜しむでしょう。

  指導者たちは、自分の国に戻ってからも、自分の国のことだけでなく、様々な国の人々の生活や文化についても考えることができるようになっているでしょう。1週間とはいえ、寝食を共にした仲間ですから、国と国との問題も指導者同士が本音で話し合うことができます。地球上の人々がお互いに手を取り合うことの大切さを、心の底から訴えることができる、つまりは真の指導者に変身しているでしょう。指導者が変われば、国民も変わります。こうして世界平和は実現に向かいます。

 人類が相変わらず殺し合いをやめないので、世界平和のための秘策を今回あえて公開しました。他にもいろいろ秘策はありますが、言ってもどうせ聞く耳を持たないでしょうから、教えてあげるのはこれだけです。

2009_02160008 ←真鶴で見た河津桜(H21.2.15)

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「なるほど」と思った言葉

     *「問題がある子どもほど、変わろうとしている」
     *「行動は叱るが、人間性は叱らない」
     *「直そうとするな、分かろうとしろ」
     *「『頑張ってね』より、『頑張っているね』」
    *「心のドアは内側にしか開かない」

  教育相談や生徒指導に係わる言葉の中から、私が「なるほど」と思ったものを上に挙げてみました。いくつかは、東京聖栄大学準教授の岡田 弘先生の講演を受けた時にメモしたものです。これらの言葉に共通しているのは、子どもが本来持っているはずの力を認め、その力が自発的に子どもから湧き出てくることに期待しようとする、こちらの心の構えを述べているようです。

  特に、子育ての真っ最中の親や、生徒指導の最前線の教師には、頭では分かっていてもなかなかその通りにはいかないのが現実です。待てなくて、ついついあれこれと子どもを「指導」してしまいます。待つことはつらいことですが、子どもの力を信じることの大切さも忘れたくありません。とは言っても、なんでもかんでも子どもの自発性、自主性に任せることはとんでもないことです。待つことの裏には、子どもの自発性、自主性を引き出すための、親や教師の並々ならぬ、普段の地道な「指導」が必要なこともまた事実です。中身の違うこの二つの「指導」の匙加減が、本当に難しいところだと思います。

  実際やってしまう行動はともかくとしても、少なくとも心の中では、上の言葉のように私たち大人が心掛けようと努力する、それでいいのかなとも思っています。(20/34)

2009_02080030

(←同じ梅の木なのに、白梅の枝と紅梅の枝に分かれています。他でも最近   よく見かけるのですが、これは接ぎ木したものでしょうか?)

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  夢は普通、目を覚ました直後は覚えていても、大抵はすぐに忘れてしまいます。後からもう一度思い出そうとしても、なかなか思い出せません。夢の映像は目が見た実像ではなく、脳が見た虚像のせいではっきりしないのでしょうか。時には、突然に夢の断片が思い出されることがあります。はっきりとした映像ではなく、そのときの感覚だけが蘇る時もあります。感覚だけで何の夢かは思い出せませんので、もどかしい気がします。無意識の領域に押し込められていた潜在意識の断片が、水底から泡になって自然と水面上に浮かび上がってきたのが夢、という感じです。夢は意識的に行っている作業ではないので、なかなか思い出せないのでしょう。

   ところで、脳を持つ動物はみな夢を見るのでしょうか。犬も夢を見ると何かで読んだことがあります。犬が夢を見るなら、きっと猿も見るでしょう。なら、ゾウやクジラはどうでしょう。ゾウやクジラが夢を見て、寝言まで言うとしたら、なんだかそれこそ夢のある話です。

  多分、原始的な動物は夢を見ないのではないでしょうか。もしそうだとすると、夢は動物の進化と関係があるかもしれません。脳が発達した動物には、それなりの負担も脳にかかります。心理的な負担を軽減したり、心の整理整頓をするとか、睡眠中に脳が自己防衛のための処理をしている作業が夢なのかもしれません。睡眠中、脳が勝手に何かをやっているわけですが、人間の身体がやっている仕組みの一つですから、いずれにしても何か意味がありそうです。

  夢は人の心の中を探るヒントを与えてくれます。本人ですら気づいていない心の中の負担を、脳が勝手に夢の中で処理しているとしたら、夢で精神分析ができるのは間違いなさそうです。夢を現実の映像として再現できるようにやがてなるかもしれない、という新聞記事も最近読みました。そうなれば精神分析もきっとやりやすくなるでしょう。でも、何でもかんでも全てをはっきりさせてしまわない方がいいという考え方もあります。夢はあくまでも夢のままにしておくのが一番かもしれません。

2009_02080041

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