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可哀相な社民党

  いよいよ民主党の政権取りが現実味を帯びてきました。とは言っても、仮に民主党が政権を取っても、社民党や国民新党などの他の野党の力も結集しないことには、なかなか政権運営はスムーズにいきません。そこで民主党はこれに備えて、今、連立協議を社民党に持ちかけています。自公政権における公明党ほどの大きな組織力があれば、一定の存在感を示すこともできますが、社民党にはそこまでの力はありません。連立すれば、社民党は大きな民主党に埋没しかねません。反対に連立を拒否すれば、政権の中枢には入れませんし、自分たちの考えを政策に反映させる場が失われます。社民党は悩んでいます。

  社民党の独自性とは何なのでしょうか。安全保障政策や憲法問題では、民主党の左側にいる人たちと同じような感じがします。但しその考え方は、国民の大多数の支持を得るところまではいっていないようです。社民党は小異を捨てて民主党と一体になるのでしょうか。それとも共産党のように党の純粋性を固守し、政権取りなどに執着しないで、少数のファンを大事にしながら、自分たちの考えをただ一途に主張していく道を選ぶのでしょうか。

   人間も政党も成長するためには変化が必要ですが、変化はいったんの脆弱の時を経る必然がありますので、勇気が必要となります。民主党は大きな部分では自民党とそう変わりませんので、変化はそう難しくはないでしょう。共産党は最初から変化するつもりはあまりありませんから、これも問題ありません。問題は社民党です。社民党は小さな党のままでも変化なく独自性を守るべきなのか、それとも大義のためには勇気をもってここは変化すべきなのか、今悩んでいるところです。さして責任のない安全地帯から批判だけしているのが一番楽なのは確かです。本当は、政権の一翼を担うのが怖いのだと思います。

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