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2010年1月29日 (金)

学んだこと

  難しい問題を抱えた生徒がいます。リストカットをした手首の跡を教師に見せたり、死にたいと口走ったりします。これが額面通りの危機的な状況である場合もありますが、圧倒的に多いのは、ただ自分への関心を深めてもらいたいという欲求の表れであったり、そう言えば教師がどう反応するかを窺っているだけの場合です。但し、いずれの場合にせよ、そう言われた以上はそれなりの対応をしなければなりません。これが何度も繰り返されると、教師の側は対応に疲れ果て、「もういい加減、振り回されるのはウンザリだよ。」、となってしまいます。
 「そうかもしれないと、半分分かっていて振り回されるのであれば、振り回されてあげればいいのです。そう思って振り回されるなら、こちらはそれほど疲れません。」
こういう考え方をある先生から教わりました。なるほどと思い、私は一つ学びました。

   別の生徒も問題を抱えています。この生徒の今後の処置をめぐっては、これまでこの生徒に係わっている様々な機関の大人たちが、自分たちの立場を踏まえながらいろいろと考えています。皆、一生懸命考えてはいるのですが、自分たちの立場もありますので、そのために衝突があったり、また逆にお互いへの遠慮が出てきたりもします。そこに大人の思惑が入ってきてしまい、判断に別の要素が混ざってしまうのです。
 「その判断が、子ども自身にとってはどうなのかということを、どこまでも中心に考えればいいのです。あとのことは大人同士だけのことですから、どうにでもなります。」
この考え方もある先生から教わりました。なるほどと思い、私はまた一つ学びました。

   私が学んだこの二つのことは、他の場合にも応用が利きそうです。(18/38)
                                        

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教育・学校」カテゴリの記事

コメント

マリーナさんへ
コメント、有り難うございます。
確かに、学校の守備範囲は広がっていると思います。学校にもよりますが、勉強だけ教えていればそれでいいような学校は、ほとんどないでしょう。他の業界も同じでしょうが、学校も、社会の変化の激しさに、追いついていくのに四苦八苦です。今の教職課程でも様々を学ぶでしょうが、やはり現場は教科書通りにはいきません。     くりりん

学校の先生も大変な仕事ですね。昔自分が生徒だった頃はとにかく勉強という側面だけで先生との関係を考えていたように思いますし、先生の方も概ねそうだったんではないでしょうか。近頃はむしろ生徒の人格形成面での指導というウエイトが高くなってるんでしょうか。そうなると学問を教えるように一律には行かない難しさがあるのでしょうね。そういう面での訓練は教職課程で十分行われているのでしょうか。

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