« スポーツって何だ | トップページ | 脳は最後に何をしてくれるか »

2010年3月 5日 (金)

責任のババ

  言葉への感性や、他人の気持ちを察する感度がやや乏しいため、相手を傷つけていることに気づかない、あるいはそこまで傷つけてしまっているとは思い至らない子どもがいます。一方、他人の言葉に非常に敏感で、ちょっとした言葉に傷ついてしまったり、耐性力が低くてキレてしまう子どももいます。何かのきっかけでこの両者が出会ってしまうと、そこから発生するのは「いじめ」であり、更に発展すると「不登校」ということもあります。学校では極めて頻繁に起こり得る事態です。

  結果的に「いじめる」側に回ってしまった子どもは、自分はたいしたことをやっていないという感覚ですので、その親の認識もこの子どもの感覚に基づきます。最初はちょこっと謝罪しても、そのうち、「そんなに言うなら、こちらにも言い分がある。」と、逆に開き直ります。一方、「いじめられる」側に回ってしまった子どもは、深く傷ついた自分の感覚が訴えのベースになりますから、我が子の訴えを聞いた親の認識も、この子どもの感覚に基づきます。「うちの子にこんなにひどいことをしたのに、相手の認識はあの程度か。」と、こちらも態度を硬化します。結果、双方の子どもの感覚のずれは、双方の親の認識のずれに発展し、学校はこの両者の間に入って必死に調整の汗を流します。

  事件にまで発展した「いじめ」は、新聞で記事になり、テレビでも報道されます。「いじめ」の背景には、往々にして様々で複雑な要素や要因が隠されていますが、分かり易い一部分だけがまな板に乗せられ、拡大され、センセーショナルに仕立て上げられます。かくして、事件の全容が十分に把握されないままに、安直な善悪判断と犯人探しが始まります。もちろん学校にも責任がないわけはありませんから、学校は格好の餌食となって攻撃の対象となります。場合によっては親から公の場へ訴えられます。

  学校教育の他にも、家庭教育の在り方、教育委員会の指導、文科省や国の教育施策、そしてそれらの背景には、社会環境と人々の価値観の大きな変化があります。それぞれに応分の原因と責任があるはずです。学校現場にだけ「責任のババ」を押し付けても、問題は一向に解決しないでしょう。

<参考>
私は学校の味方です(その1)・(副題:いじめ事件の処理が学校で難しい理由)2012.8.3 http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-3cc6.html

« スポーツって何だ | トップページ | 脳は最後に何をしてくれるか »

教育・学校」カテゴリの記事

コメント

amigoさんへ

コメント、ありがとうございます。
今日の新聞に興味深い記事が載っていました。暴力行為を繰り返す児童生徒は、就学前に親の愛情不足の中で育ったケースが多いということが、県教委や市教委の調査で分かってきたそうです。こんなこと、わざわざ調査しなければ分からなかったんでしょうかねえ。
  くりりん

くりりんさん。「それぞれに応分の原因と責任があるはずです。」おっしゃるとおりです。弱い立場に押し付けて、わかったようなことをいわないでほしいね。いまや学校(先生)だけが追及される風潮がたまりません。

マリーナさんへ

コメント、ありがとうございます。
学習院の先生達も大変なんですね。きっと恵まれた家庭の、それもよい子ばかりなんだと思いますが、それならそれで、また別の大変さがありそうです。     くりりん

何かの問題で二者が対立した場合、互いに傷つくのを
回避するために、攻撃してこない第三者にその矛先を向けてくることは良くあることです。それが教育現場で起こるのは困ったことですね。そんなことを経験した生徒たちは大きくなって、社会の所為、国家の所為と叫ぶようになるのでしょうか。
今回の学習院で起きた問題も学校が責められてますね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 責任のババ:

« スポーツって何だ | トップページ | 脳は最後に何をしてくれるか »