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2010年10月 1日 (金)

守るべきものは何なのか

  通学区域制度を基盤にした公立の小中学校にも、学校選択制の導入が検討されています。既に導入済みの自治体もあります。子どもや保護者に学校を選択する裁量幅を広げる一方、学校現場には競争原理を働かせ、教職員の教育力のアップや、個性的で魅力ある学校づくりを目指しているのでしょう。規制緩和の社会環境と、保護者の一部にある根強い要望がその背景にあります。
 
 
   子どもや保護者が学校を選択する場合、様々ある選択基準の一番は、有名大学への進学率が高い上位校への道がつながっているかどうか、だろうと思います。従ってもし学校選択制が導入されれば、大半の学校は知識・理解を中心とした学力競争に走ることになり、個性的な学校づくりとはかけ離れた方向に進む危険性があります。入学者が集まらない学校がある一方、集まり過ぎる学校も出てくるでしょう。人気校と不人気校は固定化し、学校間格差は拡大します。いわゆるエリート校が生まれる一方、落ちこぼれ校(と言われてしまう学校)も出てきます。結局のところ、学校の淘汰が進み、学校の再編統合への道を開くことになります。ひょっとすると、学校選択制の本当のねらいはそこにあるのかもしれません。

  現行の通学区域制度は、子どもの通学の便と安全、それに学校規模の平準化(適正化)を主な目的にしています。学校選択制の導入は、この制度の規制を緩めるものですから、子どもの体力や交通費負担をものともせぬ遠距離通学もたくさん生まれるでしょう。エリート校には生徒が集まり過ぎ、落ちこぼれ校の職員は生徒集めに奔走し、生徒指導に疲弊します。通学区域制度の根幹には教育の平等性があると思いますが、この平等性は次第に蝕まれることになります。義務教育の公立学校に、はたしてそこまでの競争は必要なのでしょうか。ついでに言うなら、市民の要望なら何でも応えればいいというものではないと思います。行政には、その要望の妥当性を慎重に精査する責任があります。何と言っても、その時の子どもにはもう、教育のやり直しは出来ないのですから。 

  学習内容が増やされて教科書は厚くなり、夏休み・冬休みは削られて授業時数は増加しています。新しい学力観の具体的目玉だった「総合学習」も、今や完全に邪魔者扱いです。国の教育施策は「ゆとり教育」から「学力重視」へと完全に舵が切り替わり、どうやら教育の「やり直し」をしているようです。かと言って、国はこれまでの学力観そのものを完全に否定しているわけではありませんので、そこに混乱があります。学校選択制導入の是非の前に、子どもにとって本当に必要な学力とはどのようなものなのかを、この際もう一度改めて考えてみる必要がありそうです。お金や効率だけの問題ではないと思います。
<参考>
「大丈夫か、学校」2009.11.20
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-a418.html
「振り子の理論」2009.7.31
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-1892.html 

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教育・学校」カテゴリの記事

コメント

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
そうですね。もし義務教育にも学校選択制を導入するなら、義務教育の有り様も、再考する必要があるでしょうね。その通りだと思います。  くりりん

教育現場でそんな議論がされているなんて全く知りませんでした。きっとマスコミ報道されているんでしょうが、家族に対象年齢の者がいないので、アンテナにかからないのでしょうね。本題からは外れますが、ゆとり教育論にしろ、働きすぎ論にしろ、日本の強さに対する反発から生じた陰謀説がありますが、案外本当かも知れませんね。教育についてはどちらがいいかわかりません。教育の目的を一律に定義するのではなく、「ゆとり教育」がいいか「学力重視」がいいか、教育を受ける側が自由に選択できればいいような気がします。そんなことは義務教育期間は難しいですかね。そもそも義務教育の定義(目的)の見直しも必要では。定義(目的)は知りませんが、大体想像は付きます。

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