« 今どのあたりを生きているの | トップページ | 好きな者同士(続き) »

2010年12月 3日 (金)

好きな者同士

  小中学校では、学級内で班(グループ)編制がしばしば行われます。係や清掃などの学級組織の班、遠足の班、授業での発表の班、そして昼食を食べる班など、いろいろな場面で班が作られます。班編制のやり方は、名簿順などの機械的に行われることもありますが、圧倒的に多いのは好きな者同士です。子どもの支持も圧倒的にこのやり方です。 

  好きな者同士の班編制を、ひどく憂鬱な思いで迎える子どもがいます。どこかの班に入れるか不安になるのです。1週間くらい前からお腹も痛くなります。班分けの際にも、自分から「入れて」とはなかなか言えません。言っても断られて傷つくのが怖いのです。特に女の子は普段から仲良しグループを作っていますので、好きな者同士と言えば、瞬く間に班がある程度出来上がってしまいます。どの班にも入れそうもない子どもがいて心配な場合は、担任がそっと裏から手を回し、その子に誘いの声を掛けてもらえるようあらかじめ信用のおける子どもに頼んでおきます。但し、いつもうまくいくとは限りません。

  一番問題になるのは給食や弁当を食べる昼食時の班です。班というよりも、日替わり自由な仲良しグループであることが多いようですが、大体は固定化されます。担任にとっては学級内の子どもの人間関係を観察、把握できる絶好の場となりますが、どのグループにも入れない子どもにとっては、毎日の昼食がとても辛く悲しい時間となります。もちろん担任はどこかのグループにそっと働きかけをしますが、しぶしぶ受け入れたふりをして、その子から微妙にわざと数センチ机を離したり、会話に加われないように無視するグループもあります。こうなればいじめです。その子は更に傷つく結果となり、それなら一人で食べた方がましとなりますので、結局はグループから離れてまた一人で寂しく食べることになります。「私たちは誘ったんですが、○○さんは自分から離れてしまうんです」。こういう担任への言い訳が、このグループの子どもたちには可能となります。先日小学6年生の女の子が自殺しましたが、あの子の辛さが私にはよく分かります。 

2010_11270083 紅葉の高尾山(H22.11.27)

2010_11270032

« 今どのあたりを生きているの | トップページ | 好きな者同士(続き) »

教育・学校」カテゴリの記事

コメント

かのかのさんへ
コメント、ありがとうございます。
今日の学校での話し合いが、実りあるものになっていればいいのですが・・・。学校の協力を引き出すには、「息子の苦しみをどうすれば除けるか、一緒に考えてくれませんか?」のスタンスで臨むといいのではと思います。頑張ってください。  くりりん

自分の息子がいま、まさにこの好きなもの同士の問題に直面しています。
この決め方に反論するのは、正しいのか、ただのモンスターペアレントになるのか、ネットでいろんな記事をみていくうちにこちらに辿りつきました。
我が子を守るために、明日、学校へ行くつもりです。
自殺した子までいたのには、驚きました。イジメへと先生が導いたようなものですね。
息子のために全力を尽くします。
ありがとうございます。

鮠の子さんへ
コメント、ありがとうございます。
語学留学とは贅沢ですね。羨ましい限りです。中国はまだ一度も行ったことがありません。中国共産党は好きではありませんが、中国は好きです。  くりりん

ふーん。君はこんなことを考えていたんですね。
あまり大学ではお話しなかったが学校の先生になりたいと聞いたが
こんな社会学校にいたんだ?でも雰囲気からすると何となくわかりますね。
きっといい先生だったんでしょうね。
たまにブログ読ませてもらいます。
おれ(吉田)は昨年11月に退職して3月から5か月大連外大に語学留学したよ。中国語は全然だめだけどね。たのしかったですよ。

オールドマンさんへ
コメント、ありがとうございます。
子どもの自主性を尊重しすぎている、というのは同感です。どこまで子どもの自主性を尊重するかというのは、ひとえに各家庭の価値観です。それが家庭ごとに今はバラバラです。と言うより、何を頼りにしてよいか親も分からないというのが本当のところだと思います。そのバラバラや混乱がそのまま学校へ持ち込まれています。その一方で、親は(そして子どもも)強い権利意識を持っています。学校が統一的見解を持ちにくい時代です。  くりりん

小中学校のいじめの問題は今深刻です。現在教室内でいろんなものごとを進める方法として班編制のことをはじめて知りました。班編成はこどもたちの自主性にまかされていることが多いとのことですが、好きな者同士が集まりやすく、そのためなんらかの理由で外にはじかれる者が出てしまうのでしょう。これがいじめの遠因のなっているように思います。われわれ60年前小学生、中学生の頃もいじめはありました。しかし自殺にいたる深刻さはなかったように思います。人間生まれてから人に対しても物に対しても好き嫌いの感情は誰も持っています。ただそれが人に対する時善いとか悪いかといった判断力、理性の働きは小学生、中学生時代はまだ培われていないと思うのです。自主性にまかせるのではなく、先生が名前順とかくじ引きとか子供の好き嫌いの感情が入らない方法をとって同じ班で好きな子も嫌いな子も協力しあうように先生が指導されるべきだと考えます。この時代あまりにもこどもの自主性を尊重しすぎているように思います。甘やかし過ぎです。今の親に問題があるのかもしれません。

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
そうですね。機械的に学級の席列で分けたり、くじ引きというやり方もあります。但し、よほど指導力(子どもを押さえ込む力?)がない教師だと、「隣のクラスはやっているのに」とか、「前の担任はやってくれたのに」とか、子どもの不平不満の嵐に見舞われます。「うちはうち、よそはよそ!」と最後まで言い切れる教師なら問題ありません。   くりりん

好きな者同士の班編成というのは、いろいろと問題がありますね。どうして機械的に決めないのでしょうか。機械的に決めて、その後は何らかな方法でローテーションをしていけばいいと思うのですが。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 好きな者同士:

« 今どのあたりを生きているの | トップページ | 好きな者同士(続き) »