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2012年3月 9日 (金)

我ら 我ら 我らの日教組

 校長になって初めて赴任校へ着任した時は、ヘリコプターの縄ばしごから敵地のど真ん中へたった一人で降り立つような気分だった。これはかつて先輩の校長から私が言われた言葉です。今は新任校長をそういう気分にさせる学校も少ないかと思いますが、私が教員に成り立ての頃は確かにそういう雰囲気がありました。当時、少なくとも一部の教員にとっては、管理職は敵であり、いじめの対象だったのです。

 教員になると自動的に日教組の組合員になります。自動的ではなかったかもしれませんが、当時は自動的だと思っていました。それくらい、新任教員はみな日教組の組合員になりました。各学校ごとの組合組織は分会と呼ばれ、新任教員はこれも自動的と思って分会員になりました。その当時の日教組の力は今とは比べものになりません。勤務時間外の活動だったはずですが、日教組の指示で各学校の分会員が分会活動を積極的に行いました。順番表に従って集会等への動員が行われ、選挙の時は社会党系議員の応援のため、ビラ配りや戸別訪問を分会員が分担しました。私もずいぶんやりました、やらされました。

 私の初任校では校内の人事権さえ分会にありました。学年所属、校務分掌、担任などの希望を、校長ではなく分会役員が調整しました。それは「民主的な運営」と呼ばれました。職員会議の場で、分会は事あるごとに管理職とぶつかりました。入学式や卒業式の日の丸・君が代はもちろんのこと、標準服(制服)、診断テスト(学力テスト)、職員会議のあり方など、ぶつかる種は事欠きません。当時の校長はさぞや大変だったろうと思います。

 標題は「日教組組合歌」の最後の一節です。私も暗唱し、今でも歌うことができます。歌詞の中に「結べる同志五十万~」とあるくらいですから、当時は全国で組合員が50万人いたのでしょう。他にも「緑の山河」という勇ましい日教組の歌もありました。メロディーはどちらも軍歌調で私好みです。今の学校の先生たちはいずれも歌えないでしょう。遠い日の懐かしい思い出とメロディーです。

<参考>
「職員会議、大っ嫌い」2013.9.27
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-2b1a.html

<今日のメロディー>
http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=nikkyouso&type=mp3  日教組組合歌♪
http://youtu.be/EudgegV1s2Y 緑の山河♪

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コメント

monさんへ
コメント、ありがとうございます。
お知り合いのお子さん、お気の毒でした。すべてというわけではありませんが、病的なクレーマーもいます。要求は次々とエスカレートしていきます。担当者は大変です。鬱になる人もたくさんいます。  くりりん

こんにちは~
確かに、最近は、あまり日教組という言葉を
NEWSでも、耳にしなくなりました。
 昔は、熱い人たちが多かったのでしょうか。
それとも、今は、それどころではないのかも。
今は、父兄が怖い時代ですね。
 やっと就職した、知人の子は、
教育委員会にかかわる仕事でしたが、
3ヶ月で、ノイローゼになってしまい、
なんでこんなに、親が、偉い時代になってしまったのでしょう?

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
日教組が政治活動に熱心だったのは時代の流れだったのかもしれませんが、今では、休憩も休息もとれない勤務時間、増え続ける教員の心の病、学力格差の是正など、日の丸・君が代よりも大切な問題があると思っています。  くりりん

日教組の実態はまるで北朝鮮か中国ですね。橋下大阪市長が目の敵にしていますが、これには全面的に賛同します。このような人たち(と言っても一部の組合員でしょうが)に子供たちの教育を任せていることに危惧します。でも子供たちはあまり影響を受けずに育っているようですから、日教組もたいした力はないんでしょうかね。それなら目くじら立てることないかな。

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