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2012年6月 8日 (金)

学校はいつも悩みます

 我が子をしつける自信がない親は、例えばケータイの扱いなどを学校で決めて欲しい、つまりは禁止して欲しいと要求してきます。一方で学校でそれを決めると、そんなことまで学校が禁止するのはプライバシーや表現の自由の侵害だと、別の親から苦情が来ます。学校の強力な指導を求める親と、各家庭の価値観や子どもの自主性を尊重するよう求める親に挟まれて、学校はしばしば悩むことになります。

 学校として一貫した指導を行うために校則は必要です。校則がないと、どうしても教師の判断に幅ができてしまい、その結果指導にもズレが生じてしまいます。具体的に言えば、A先生はいいと言ったのに、どうしてB先生はダメと言うのか、といった類の苦情が出てくる恐れがあります。校則があれば、その学校のどの先生も同じ歩調で指導ができるという利点があります。力で抑えるのが難しい女の先生や指導力のない先生にも、校則は有効な指導手段となります。

 一方で、校則は一度出来上がると微に入り細に入る傾向があります。そうなると、専ら守らせるためだけの指導に教師は追われ、時間とエネルギーを費やすことになります。自分で考えて行動する生徒も、自分で判断して指導する教師も育ちません。車のハンドル同様で、学校の指導にも余裕や遊びの部分が必要です。従って校則もガチガチではなく幅が必要になりますが、幅がある校則の運用には教師の十分な指導力が基盤となります。校則に頼るか教師の指導力に期待するか、学校は生徒の成長の度合いと教師集団の力量とを計り比べながら、ここでもまた悩むことになります。

<参考>
「指導と自主性」2009.9.11
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-5585.html
「ジャージ登校はいいか悪いか」2013.8.2
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-90b2.html
「制服文化と稲作文化」2014.6.13
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-6b1c.html

<今日のメロディー>
「warewa-uminoko.mp3」をダウンロード われは海の子♪

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潮干狩りに行きました
金沢海の公園
正味1時間30分の収穫
2012.6.4
                                       

<参考>
「潮干狩りの基礎基本」
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-94b7.html

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教育・学校」カテゴリの記事

コメント

monさんへ
コメント、ありがとうございます。
扉を壊されて大変でしたね。気をつけないと直してもまたやられるかもしれません。貼り紙したり、巡回したり、小学校へ指導を求めたり、いろいろな対策をとっておかないと大変です。きちんとした証拠がないままに子どもを直接に指導したりすると、別の方角から別のボールが飛んできます。こちらも要注意です。   くりりん

こんにちは~
さて、どう、コメントするかを悩みました。
でも、最近の身勝手な父兄をたしなめるためには、
やはり、そう、するしかないのかと思います。

先日、集合住宅の扉が壊されました。
それは、サッカーボールをけって、
シュウトの練習にされたからです。
ビデオは設置されてますが、死角となり証拠はない。
 数日後、5年生くらいの集団が、ガヤガヤとやってきました。
何か、言っておかないと、またやられます。

「あんたたち、なにか、悪いことしてないでしょうねぇ~」と、
思い切り、ガンとばししました。
「すると、ぼくたちは、鬼ごっこをするので、鬼を決めてました。
これから、公園に行きます」なんてね・・・

その後、このガキどもは、やってきませんが、
タチが悪くなりました。
壊れた、扉はまだ修理もできません。
いつの時代も、ワルガキはいますが、
将来は、どんな大人になるかが、不安です。--;

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
その通りだと思います。学校は社会の価値観の坩堝です。家庭の価値観も様々。教師の価値観も様々。その中で学校は、意味のある共通項を求めていく努力をするしかありません。   くりりん

「校則は一度出来上がると微に入り細に入る傾向があります」。確かにその通りですね。校則に限らず規則全般に言えることです。ある規則の目的さえぶれずにしておけば、細部は運用者によって多少の変化形があっても仕方がないと思います。
法律でも全てをこと細かく規定しておりません。それは時代の変化(価値観の変化)に伴って内容をいちいち改定できないこともあるでしょうが、細部に入り過ぎると、膨大になるし、規定外のものにかえって対応できなくなるからだと思います。
校則について言えば、運用はそれこそ学校・教師の裁量の問題であり、そのことは家庭に理解してもらう努力をするしかないでしょうね。
私に関して言えば「各家庭の価値観や子どもの自主性を尊重するよう求める親」に属するでしょうか。
ところで潮干狩りの写真ですが、短時間でこんなに沢山のアサリが獲れるんですね。

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