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2012年8月 3日 (金)

私は学校の味方です(その1)・(副題:いじめ事件の処理が学校で難しい理由)

 「子どもが、一定の人間関係のある者から心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」。2007年に改定された「いじめ」の定義です。「いじめ」か否かの判断は、いじめられた子どもの立場や気持ちに寄り添って行うよう徹底されています。つまり、いじめられている本人が「いじめられている」と受け取れば、それは「いじめ」とみなされるわけです。それくらいにした方が、被害者のカバーやフォローが徹底できるわけです。「いじめられる側にも多少問題がある」という見方は、少なくとも学校現場では排除されました。この定義と方針は、やむを得ないこととは言え、場合によっては実態との乖離を生み、加害者を指導する学校の立場に混乱をもたらしました。

 加害者は発達途上の子どもであり、学校はその子どもを教育する場であるという前提があります。加害者の人権も守らなければならないという学校の立場を、この前提が補強しています。学校がこの立場に立てば、学校による徹底的な調査と公表は難しくなります。こうして学校は、事実とその公表を求める被害者側、メディアそして世間からの厳しい責任追及を受けながら、併せて加害者側との難しい折衝にも多くのエネルギーを割かなければならなくなりました。

 学校はいじめについて子どもから聞き取りをしたりアンケートを取ったりします。子どもの言うことや書くことには、正しいものと正しくないものとが混じっているという認識が必要です。中には伝聞に過ぎないものや、誇張や無責任な面白半分のものもあります。子どもの言い分を純粋化し過ぎず、事実として確認されたものとそうでないものとをしっかりと区別する手順が必要です。メディアは子どもが言った(書いた)象徴的な言葉を取り上げて、衝撃的な記事にすることを好みます。結果として、伝聞や誇張や無責任に過ぎないことがあたかも事実として流布し、混乱が増幅します。警察や専門家集団が乗り出しても実態解明に数ヶ月かかる事件を、何の権限もない学校が単独で処理するのにはそもそも無理があります。(その2へ続く)

<参考>
「責任のババ」2010.3.5

http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-fe89.html

 

<今日のメロディー>
「muramatsuri.mp3」をダウンロード 村祭り♪

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花火のおばけ
(本当はただの撮り損ない)
H24.7.28

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教育・学校」カテゴリの記事

コメント

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
確かに、自分が先生に言ったことがバレると、「ちくったな」と言われるかもしれないという恐怖感は相当に大きいと思います。その情報に基づいて加害生徒を指導すれば、必ず「誰が言った」の話になるからです。相談を受けた先生が、話をしてくれた生徒の立場(情報源)をどう守るか、これは重要です。相談を受けた先生の力量も問われますが、学校としての情報源への対応マニュアルも必要です。そもそも相談(情報提供)をしてくれるかどうかでは、日頃の生徒と教師の信頼関係も問われています。  くりりん

いじめの問題にしろ、何にしろ、我々が世間のことを知るには、マスコミを通じてしかありません。ですからマスコミの誘導的な報道には気をつけたいものです。
今回の大津の事件にしても、他のいじめの事件についても、当事者が少年のため、特に人権保護の観点から伏せられている事実があるようです(想像ですが)。学校としてはこの事実を公表すれば、学校のとってきた措置も、世間にある程度は理解されることでしょうが、それが出来ない悔しさがあることでしょう。
いずれにしても、いじめをなくす(自殺をなくす)ために、学校の先生方には普段から生徒たちの行動に従来以上に注視して欲しいと思います。
ところで、いじめを目撃しててもそれを先生に報告しないというのは、何が原因かと考えてみましたが、ひとつには、今度は自分が被害者になるという恐怖感からでしょう。もうひとつ考えられるのは、昔から日本人には「言いつけは卑怯」というDNAがあるからではないでしょうか。

mon さんへ
コメント、ありがとうございます。
学校の味方しすぎだったかもしれませんが、学校批判はもう散々聞かされていますので、少し角度を変えてなるべくみんなが言っていないことを言いたいなと思いました。
もちろん角度を変えても、学校や教育委員会の責任が回避できるわけではありませんが。  くりりん

こんにちは~
いじめは、いつの時代にもあったことですが、
最近は、自殺にまで追いコンでしまうのは、
たぶん、ふだんのストレスを、これでもかというほどで
手かげんを知りません。
ガキ大将の存在も、あるわけでもなく、
集団でなら怖くないから、そうするのかもしれません。

小学生のうちに、しつけをしておかないと暴走するのかも
しれないですね。

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