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2013年12月 6日 (金)

学校給食の思い出

 小学校の階段下に、ドラム缶の空容器が置かれていました。元々は脱脂粉乳が入っていたようです。缶の表面に、人の手が握手をした図柄と星のマークが描かれていたのを覚えています。あれはアメリカからの援助物資だったのでしょうか。私にとっての学校給食の思い出は、まっすぐにこの脱脂粉乳に向かいます。栄養価はあったようで、私たちの年代の成長を支えてくれました。でも非常に不味かったです。もう60年近い昔のことになります。

 当時の給食に配られた肝油のことも覚えています。最初はかわり玉のような形をしていましたが、そのうち今で言うお菓子のグミのような食感の円錐形に変わりました。私たち子どもの栄養不足を補うためのものだったようです。当時はそんなことは知らずに食べていましたが、ちょっと変な味だったのを覚えています。

 給食の食器はアルマイト製?で、中を3つくらいに区分けされたプレートとカップでした。最初の頃だけだったと思いますが、その食器を布袋にいれて自宅から持参し、学校で食べた後はまた食器を汚れたまま家に持ち帰りました。どうして学校で私が食後に洗わなかったのか今思うと不思議ですが、学校では洗わせない指導があったのかもしれません。(それとも私だけが洗わなかった?)時々残りカスが布袋に染みついて、とても嫌な臭いがしたのを覚えています。

 小学校低学年の頃は教室の数が足らず、私たちは二部交代制で登校しました。通常通りに朝に登校するクラスは早番、昼頃から登校するクラスは遅番と呼ばれました。確か一週間毎に早番と遅番は交代しましたが、遅番になると学校はいきなり給食から始まります。一番の楽しみが一番最初に終わってしまうので、私は遅番の週が嫌いでした。

 栄養不足を補うための脱脂粉乳も肝油も、今は給食には出ません。食器もアルマイト製ではなく、持ち帰りもありません。早番遅番ももちろんありません。給食にフランス料理やズワイガニが一人一匹出る小学校が今はあるそうです。良い時代になりました。

<参考>
全国の国公立私立小中学校の学校給食実施率
(平成22年文科省の調査)
  *小学校 98.1%      *中学校 76.9%
神奈川県内中学校の実施率は20%程度のようです。
横浜市立中学校は実施していません。

<懐かしのメロディー>
http://youtu.be/6LR3YdAuAXQ 一丁目一番地♪

近所のお寺さんの秋 2013.11.29
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コメント

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
給食当番は多分あるでしょう。その日は白い「うわっぱり」を着てやっているはずです。欠席した人の分をその人の自宅まで持っていくのは、多分もうやっていないでしょうね。給食費の未納の回収やらアレルギー対策など、今の先生も結構大変です。そう言えば、当時の給食にはよく鯨の肉が出ましたね。  くりりん

懐かしい話しばかりですね。確か給食当番というのが決まっていて、黒板の片隅に名前が2名書かれていたと思います。今はそんな当番なんてあるんでしょうか。配給したあとに残った分を追加配給するのを、誰からかも書いてありました。そういえば、休んだ人の家に近くに住む生徒がわら半紙にパンを包んで届けてました。今はどうなってるんでしょうか。こんなことを今やろうとしたら、なにがあるかわかりませんが、きっとまた大議論になるんでしょうか。父兄の世代が当時とは違いますからね。

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