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2014年8月 8日 (金)

偏差値はそんなに悪者か

 偏差値に囚われ振り回されている気の毒な若者たちがいます。そうした若者の不安につけ入り、偏差値を巧みに利用している商売人もいます。世間や企業が偏差値だけで若者を評価するのは大間違いだというのはその通りで、私もそう思います。

 「偏差値底辺校のF校の卒業生にも素晴らしい人材がいる」「偏差値最上位のA大学卒にもお馬鹿がいる」という当然の事実は、よく偏差値批判のネタに使われます。だから偏差値はあてに出来ない、という理由の根拠になります。これも概ね妥当ではありますが、より正確には、「偏差値はあてに出来ない」ではなく、「偏差値だけをあてにするのは間違い」だと思います。

 比較的汎用性のある便利な判断基準の一つが偏差値なのでしょう。問題は偏差値自体にあるというよりも、偏差値という道具の活用方法にあります。ただの道具の一つに過ぎないものを私たちがうまく使いこなせないだけの話です。予備校や週刊誌は商売で偏差値を利用しているだけですので、彼らをいくら責めても仕方がありません。偏差値に代わるより有力な基準は、必要に応じて私たちのそれぞれが選択することになります。

 大小はあるかもしれませんが、存在しているものには全て意味があります。意味のないものは存在できないからです。自然が生んだものだけでなく、人間が形作ったものも同様です。意味は価値と言い換えられます。一部の弊害をもってしてそのものの存在を全て否定することは無意味で、何の新しい価値も生み出しません。少し大袈裟な言い方になりましたが、偏差値もそうしたものの一つだと私は思います。ついでにもう少し大きな問題で言えば、原発も多分そうではないかと思います。

<今日のメロディー>
http://youtu.be/hjoj0XfUFZg われは海の子♪

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コメント

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
大相撲の番付の例はよく分かります。年配の人には怒られるかもしれませんが、栃錦も若乃花も多分白鵬には勝てないでしょう。番付(偏差値)の基準が違います。これは全てのスポーツに言えることかもしれませんね。  くりりん

いつも思うのですが、偏差値というものは相対評価であって、絶対的なものではないわけですから、偏差値そのもので個人の学力を決めつけてしまうのには問題がありそうです。学校の成績表(通信簿)の評価も同じですけど。
大相撲の番付もそうですね。栃錦や若乃花が現在相撲を取っていたらどうなんでしょうか。横綱になっていないような気がします。
でも,現在の親たちはこれが全てといっていいほど偏差値に執着しているようです。いつからこんなことになってしまったんでしょうか。まあほかに評価する方法がありませんからね。

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