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2017年5月 5日 (金)

昔、こんな生徒がいました

 40年近く前になりますが、今でも時々思い出すことがあります。私の初任中学校の3年担任クラスにNさんという女生徒がいました。ある日、放課後の生徒と一緒に私が教室を掃除していると、彼女が私に言いました。「先生がそんなことしないでください」。掃除をするのは私たち生徒の仕事で先生の仕事ではない、ということを言いたかったようです。彼女のその時の顔つきではもうひとつ、先生にそんなことをされては生徒の私たちは申し訳ない困ります、という気持ちも窺えました。私はとても驚ろいたのを覚えています。

 初任校は合唱コンクールの盛んな学校でした。Nさんは合唱コンクールの指導力が抜群で、1年2年とNさんがいるクラスは最優秀賞を獲りました。Nさんがいればそのクラスは最優秀賞を獲れる、という噂があるくらいでした。3年のとき、Nさんは私のクラスになりました。合唱練習で音の取れない生徒には、Nさんは歌唱の個人指導をしました。練習をさぼっていたやんちゃな男子生徒を廊下に連れ出して、ほっぺたを叩いたこともありました。こちらはまだ新米教師ですので、彼女の指導力に舌を巻きました。残念ながら、コンクールの結果は二位の優秀賞でした。私の指導力が彼女の指導を減殺したようです。

 3年の修学旅行で、新幹線の京都行きの車内の出来事も覚えています。Nさんは学級委員かその班の班長だったと思います。車内のルール違反をしたやんちゃな女生徒をNさんが注意しました。その子は、「おまえ(Nさん)が嫌いなんだよ~」と大声で反抗しました。そのときNさんは、「あら、あら」とその子の肩に触れながら、まるで我が子を包み込む母親のような仕草をしました。これにも驚きました。

 たったひとつ今でも心残りなのは、Nさんの当初の進路希望を叶えてあげられなかったことです。これだけは残念でしたが、今は50歳を越えているNさんは、きっと逞しく自分の人生を歩んでいる、私はそう確信しています。

 「こどもの日」にちなんで、遠い日の、かつての生徒の思い出になりました。

青葉若葉(うちの両側)2017.5.2
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<今日のメロディー>
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教育・学校」カテゴリの記事

コメント

ユーヒロさんへ
コメント、ありがとうございます。
そうですね。「期待され過ぎている部分」はあっても、「期待されている部分」にはしっかり学校は応えないといけないようですね。  くりりん 

 ほか記事でも、記されていました。“親には勝てない”と。然りです。7歳、13歳にして、はじめて子どもとの対面。それ以前の、子どもたちの履歴、経歴を知る由もない。そこで、愚痴。“勝てないから、しっかりしてよ”と、親たちにも言いたくもなる昨今ですね。小むずかしい、(学校)教育の役割云々は、ともかくも、サブであっても、一個の人生の応援団。巣立っていった子どもらこそ、センセが知るはずもない、激動の荒波にあることかと。学校は一過性。親は、どんなに歳をとっても、わが子ですからね。

ユーヒロさんへ
コメント、ありがとうございます。
家庭と社会と学校が、子どもへ教育支援を行います。その中で、良いにつけ悪いにつけ、教育力で子どもへ最大の影響を及ぼすのは家庭です。学校は、その補助程度の教育力しか持っていません。その割には、学校は教育力を期待されすぎていますね。
くりりん

 まさに、40年ほど前、ある小紙に「神話的学校教育万能論崩壊」と題して、寄稿したことがあります。まったくの直感から、論理を展開。このNさんのエピソード。確かにその当時には、こういう子どもの実相もあったと記憶しています。学校教育は、あるいは、学校社会は、目的的につくられ、意図的、恣意的に運営される。言わずもがなですが、他方、家庭は、自然共同体。つまりは、学校であれ、学級であれ、はじめて社会集団の中で、人間として生きる術(すべ)を習得、形成させんがための、さまざまな活動をおこなう。教員はといえば、当然のごとくに、そのために、日々、専念する。Nさんはといえば、それが家庭でのしつけなのか、それ以外なのか、集団生活の中で、どれほどの経年の中、そのようなしぐさ、ふるまい、行動を身につけたのか、あるいは、無意識なのか、何もそれが問題ではなく、学校教育がもとめる(はずの)“もの”を獲得、形成されていた。もしや、天性のものなのかもしれない。これこそ、巷を賑わす、“個性教育“のなのかも、と。昨今の多事、学校内外の双方が、あまりにも、”万能性“をもとめる余りの多難の様相かと。魅力的な50歳代になっていることかと。

マリーナさんへ
コメント、ありがとうございます。
良い意味でも悪い意味でも、学校は親には勝てません。「悪い子」の場合、親と学校はその指導の責任の所在をめぐって争います。くりりん

ヨッキーさんへ
コメント、ありがとうございます。
そのようです。先生はサービス業になりました。今頃、新任の担任は保護者に突き上げられている人も多いでしょうね。このゴールデンウィークは、彼らの立ち直りの期間になります。 くりりん

Nさんという生徒はとてもしっかりした子どもでしたね。こういう話を耳にするとき、いつも思うのはどんな家庭で育った子なのか、どんな育て方を親御さんがしたのかと思います。学校がどんな指導をしたんだろうかと思うことがないのは残念です。
悪い子の場合は学校の指導が問題になりますが。

いい話ですね。
私も似たような思いでがあります。
のんびりした時代だったんですね。
思い返せば、4月1日突然先生ですから,恐ろしい話です。
高校と大学でいい加減なことばかりやっていたのにです。
そりゃ、優秀な生徒の方が立派ですよね。(笑い)
きっと今年も情けない大学生が4月1日に先生になってるでしょうね。
でも一つだけ私達と違うところがあります。
先生に親しみと畏敬を持った生徒は、おそらくですが、いないということです。
(保護者や世間が学校の先生を見る目が変わりましたからね。)

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