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2019年3月20日 (水)

特別な支援を必要とする子ども

特別な支援を必要とする子どもたちがいます。彼らの態様は様々ですが、すぐに分かるのは彼らの素直さです。「今日は楽しかったかな?」と尋ねると、必ず明るく大きな声で、全員が声を揃えて「はーい」と返してきます。子ども同士の会話も、明るく屈託がありません。もちろん、自分の思い通りにならなくて、壁をたたいたり、大声をあげたりする子どももいますが、その表現はストレートで悪意はありません。斜に構えるとか、いじわるや陰湿、打算等とは無縁のようです。

彼らの様子を見ていると、つくづく人間の本質は「善」、又はそれに近いものではないかという思いがします。人間は進化の過程で、厳しい生存競争に打ち勝つため、他人を騙し欺いたり、場合によっては殺すこともありました。こうした「負の力」は生き抜くためには必要な力だったかもしれませんが、同時に妬みや憎悪といった「負の要素」も人間にもたらしたのではないでしょうか。ところが彼らにはこうした「負の力」がなく、およそ無防備です。ですから同時に、後から人間に備わった「負の要素」もありません。

彼らは確かに「特別な支援を必要とする子ども」かもしれませんが、人間が本来そうあるはずだった「善」、又はそれに近い部分だけはしっかりと根幹に保持している、私にはどうもそんな気がします。ますます増大する「負の力」や「負の要素」に屈して、「善」の部分を失いつつあるのは、むしろ私たちのようです。

 

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教育・学校」カテゴリの記事

コメント

ヨッキーさんへ
コメント、ありがとうございます。
美術の世界でも、玄人の絵の反面教師として、そんなことが起きているんですね。美術界の玄人は、私たちの世界に例えれば政財界のリーダーになります。リーダーの反面教師として、特別な支援を必要とする子どもたちの「善」がクローズアップされている、これはよく理解できる例えですね。「他者の目を意識する」の意味も、そのまま当てはまります。よく似ていると思います。  くりりん

難しいテーマですね。内容がわかりにくいというのではなく判断が難しいという意味です。
最近、「アール・ブリュット」、という美術の話題があります。フランスのデュビュッフェという画家が正規の美術教育を受けてない絵描きの絵を「生の芸術」ということで称賛したんです。これが日本に輸入されて「障害者美術」という偏った理解をされてしまいました。(その典型は「山下清さん」です。)障害のある人の絵は純粋で真っ直ぐで素直であるということでもてはやされる事になりました。でも、それって違うよね、という意見もあります。なぜか。「アール・ブリュット」が評価されるのは、先行する玄人の絵が行き詰まっていて、その反面教師としてなんですよね。逆じゃないのです。「アール・ブリュット」の絵と玄人画家の違いは歴然です。前者は同じ絵柄の反復繰り返しです。後者は同じところにいなくて変化し続けます。理由は簡単です。前者は他者の目をそれほど意識しません。でも後者は常に他者の目を意識します。「特別な支援」と直接関係ないかもしれませんが、ふとこの事と似てると思った次第です。

釣りバカさんへ
コメント、ありがとうございます。
人間は成長するにつれ、生き残るための競争をします。競争には、悪智恵や攻撃が必要になる時もあります。それを抑制するのは知性ですね。  くりりん

あらゆる生物はその種を保存するため、様々な行動をとったり、そのための能力を備えてます。自然界には全く不思議な現象が沢山あります。
人間も成長するに従って、悪智恵を働かさせたり、他人に攻撃的になったりするのは、この種の保存のための本能的な行動であって、仕方がないものなんでしょうかね。

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