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2019年6月28日 (金)

責任のババ

言葉への感性や、他人の気持ちを察する感度がやや乏しいため、相手を傷つけていることに気づかない、あるいはそこまで傷つけてしまっているとは思い至らない子どもがいます。一方、他人の言葉に非常に敏感で、ちょっとした言葉に傷ついてしまったり、耐性力が低くてキレてしまう子どももいます。何かのきっかけでこの両者が出会ってしまうと、そこから発生するのは「いじめ」であり、「ケンカ」であり、更に発展すると「不登校」ということもあります。学校では極めて頻繁に起こり得る事態です。

結果的に「いじめる」側に回ってしまった子どもは、自分はたいしたことをやっていないという感覚ですので、その親の認識もこの子どもの感覚に基づきます。最初はちょこっと謝罪しても、そのうち、「そんなに言うなら、こちらにも言い分がある。」と、逆に開き直ります。一方、「いじめられる」側に回ってしまった子どもは、深く傷ついた自分の感覚が訴えのベースになりますから、我が子の訴えを聞いた親の認識も、この子どもの感覚に基づきます。「うちの子にこんなにひどいことをしたのに、相手の認識はあの程度か。」と、こちらも態度を硬化します。結果、双方の子どもの感覚のずれは、双方の親の認識のずれに発展し、学校はこの両者の間に入って必死に調整の汗を流します。

事件にまで発展した「いじめ」は、新聞で記事になり、テレビでも報道されます。「いじめ」の背景には、往々にして様々で複雑な要素や要因が隠されていますが、分かり易い一部分だけがまな板に乗せられ、拡大され、センセーショナルに仕立て上げられます。かくして、事件の全容が十分に把握されないままに、安直な善悪判断と犯人探しが始まります。もちろん学校にも責任がないわけはありませんから、学校は格好の餌食となって攻撃の対象となります。場合によっては親から公の場へ訴えられます。

学校教育の他にも、家庭教育の在り方、教育委員会の指導、文科省や国の教育施策、そしてそれらの背景には、社会環境と人々の価値観の変化があります。それぞれに応分の原因と責任があるはずです。学校に責任があるのは当然ですが、学校現場だけに「責任のババ」を押し付けても、問題は一向に解決しないでしょう。

ベランダにやたらにタネを播いていたら、忘れた頃に何か生えてきた。オシロイバナ? 2019.6.26
P1040868

これは柑橘類のなんか?
P1040869

<今日のメロディー>
かえるの合唱♪
https://youtu.be/1Xmubt0ANxE

 

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教育・学校」カテゴリの記事

コメント

ヨッキーさんへ
コメント、ありがとうございます。
喧嘩は確かに権力的に双方互角の立場ですが、「いじめ」は反対に必ず権力が介在しているということは、本当ですね。いじめて権力を示すのは、自己防衛のなせる業でしょう。 くりりん

これと同質の事案は子どもも大人も同じでしょうね。
私が昔読んだ本にい「いじめ」は政治だという指摘がありました。
「喧嘩」には政治が介入しないのに対して、「いじめ」には政治が侵入してくる、それが大きな違いだそうです。
集団の中に権力の介入が無いのが「喧嘩」そうです。
「いじめ」は反対に必ず権力が働き政治的になるのだそうです。
権力関係の中で被権力者は自己肯定感の消失や無力感に落とし込まれ、声を上げることすらできなるのだそうです。
「いじめ」られている人が声を上げないことを不思議がる人がいます。そういう人はこの仕組みを理解してない、と指摘されています。
この解決は、「場」を発見した当該の集団より権力上位の者が、権力的に解決するしかないとも言えますかね。

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