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2019年10月

2019年10月29日 (火)

首相は眠れるか

つくづく首相の仕事は大変だと思います。新聞に掲載される一日の動静を見ても、分刻みで会合や会談をこなしています。対外関係ではアメリカとは普天間基地と貿易交渉、ロシアとは北方領土、北朝鮮とは拉致、中国とは尖閣諸島の問題があります。韓国とはケンカ状態にあります。どれをとっても一筋縄ではいかないものばかりです。国内でも問題は山積です。財政再建、消費税、年金改革、台風による度重なる被害、先日は菅原経産相の辞任もありました。それ以外にも突発的な大事件や大地震が起きるかもしれません。処理を一つ間違うと政権自体が吹き飛びます。それどころか日本が吹き飛びます。おちおち夜も眠っていられないはずです。

国と国民の運命を一身に背負っているわりには、何をやっても滅多にほめられることはありません。反対にちょっとでもしくじりをすれば、四方八方からボコボコに批判非難されます。罵られます。権力は常に周囲のチェックを受ける宿命にあるとはいえ、並の神経なら到底眠れなくなるはずです。

この重責と罵りと不眠への見返りは何でしょう。まさか権力欲だけではないでしょう。見返りに首相が手に出来るのは、国の安全と国民の幸福への最大級の使命感のはずです。真夜中もだいぶ過ぎた頃、安倍首相が公邸の書斎の椅子に深々と身を沈めながら、ひとり暗い顔で一点を凝視して考え込んでいるのはこの使命感のためです。昼間とは違う彼の顔には、誰一人見たこともないような孤独と苦悩の色が浮かんでいるはずです。お気楽に、夜遅くにブログなんか書いているはずもありません。私とは違います。

きっと誰もこんなことは言ってくれないだろうと思い、小さな声で言ってみました。今回だけの特別です。

<今日のメロディー>
庭の千草♪
https://youtu.be/qZADqU9GfkQ

 

2019年10月25日 (金)

手本は二宮金次郎

小学校には二宮金次郎の銅像が建っていることがあります。この像が建っている小学校は、日本全国でどのくらいあるのでしょうか。出生地の神奈川県は多いと思いますが、学校数の割合が都道府県別で分かれば、興味深い資料になります。

表題は、「柴刈り 縄ない 草鞋をつくり・・・」という文部省唱歌の最後の一節です。今80歳以上の年配の方なら多分ご存知でしょう。その少し手前の私もかろうじて知っています。「親の手を助け 弟を世話し 兄弟仲良く孝行つくす」、と続きます。

この歌は節制と努力を糧に、公と孝に尽くすことの大切さを説いています。歌にするくらいですから、歌が作られた当時も、この二つは少々存立が危うかったのかもしれません。でもまだ間に合いそうだったから作られたのでしょう。今はどうでしょうか。公はなく、あるのは私だけです。節制や努力は今でもありますが、それはもちろん公のためではありません。孝の方も少々怪しくなっています。

国がどんなに貧しくても、国民に向学心があり、公と孝を大切にする心があれば、その国の未来は明るいでしょう。向学心があれば貧しさはバネにもなります。公や孝は危険だと考える人たちがいます。日本は確かに一度道を間違えたかもしれませんが、それは公や孝を正しく捉えられなかったせいではないでしょうか。私は、日本中の小学校に二宮金次郎の銅像が建てられたらよいと思っています。まだ間に合うかもしれませんから。

<今日のメロディー>
二宮金次郎♪
https://youtu.be/3iJ92GsxWgk

秋(恩田川沿い)2019.10.23
P1050075
P1050073 
P1050061

ススキとセイタカアワダチソウがせめぎ合っている。

 

 

 

2019年10月22日 (火)

睡眠の不思議

動物には睡眠が必要です。眠らないと生命活動を維持できません。睡眠は、体や脳の成長とメンテナンスに不可欠だそうです。でもそもそもどうしてこういう仕組みになったのでしょうか。例えばヒトなら一日のうちの1/4~1/3も眠っています。こんなにも活動を停止させないと体を維持できないとは、少々不思議な気もします。

ほ乳類、鳥類、は虫類、両生類、魚類はみんな眠るらしいです。マグロやカツオなどの回遊魚は泳ぎながら眠るそうです。体は動いていても、脳が眠っている状態なのでしょう。イルカは泳ぎながら、左右の脳を交互に眠らせるそうです。器用なものです。

トンボ、蝶などの昆虫も夜になると姿が見えなくなるので、活動を停止しているのでしょう。でも眠っているのかどうかは知りません。昆虫にはそもそも脳があるのかどうかも知りません。海中のイソギンチャクやクラゲ、土中のミミズも眠るのでしょうか。ミジンコや細菌などの微生物も眠るのでしょうか。植物も眠るのでしょうか。次々と疑問が出てきます。

動いていても眠っている生き物がいるくらいですから、長時間動かずにじっとしていても実は眠っていない生き物だっているでしょう。一生眠らない生き物もいるのでしょうか。睡眠とは何かを考えると、生物門外漢の私には存外難しい問題になります。

生命の源が太古の海で誕生した時、それは太陽の光の中でしか活動出来なかったのではないでしょうか。原始の生命は光の中で生まれ、光の中でのみ活動できたのかもしれません。いずれにしても、休み休み生きないと生きられない生命とはそもそも不完全なもので、生きるということは生命にとって実に大変なことなのではないでしょうか。生命というのは、どうやらかなり無理をして頑張っている状態のようです。

昔の人は言いました。「寝るより楽は無かりけり 浮き世の馬鹿が起きて働く」。

<今日のメロディー>
秋の夜半♪
https://youtu.be/fc5LOBRlU2w

 

 

 

 

2019年10月18日 (金)

便利と進歩の裏側

インターネット上で情報が漏洩又は流出すると、その情報は全世界へ向けて瞬時に伝わります。ビルの屋上からばらまかれた機密資料や写真なら回収は必ずしも不可能ではありませんが、いったんネット上でばらまかれた情報は回収不能です。消しても消しても更なる流出が不特定多数により繰り返し行われ、情報の拡散を止める手だてはもうありません。規則や罰則でこれをコントロールすることもある程度は可能でしょうが、国民の知る権利や報道の自由との難しい関係もあります。覚悟の確信犯による内部告発となれば、もう防ぐ手はないでしょう。情報管理は、漏洩や流出をある程度前提に行われるべき時代なのかもしれません。しかし、秘密が全て筒抜けになってしまう社会、あるいは筒抜けにならぬよう身内の人間すら信用しないで管理しようとする社会とは、どんな社会なのでしょう。

クローン技術や万能細胞の開発そして遺伝子操作等により、生命そのものへの加工が行われる時代になりました。病気の治療や予防、食糧増産などに益するところは極めて大きいと思います。これらの技術を駆使すれば、ノーベル賞級の優秀な科学者や高い戦闘能力を持った兵士の「量産」も可能です。単なる加工ではなく、科学の力で新しい生命そのものを創造する時代になりつつあります。しかし、人ははたしてどこまで生命に手を加えることが許されるのでしょうか。生命倫理の問題です。国ごとにばらばらな法律の他に、様々な宗教や哲学すらも関与してきます。情報管理よりも更に難しい問題を含んでいます。

核兵器の管理は言うに及ばず、情報管理も生命倫理も、どれも扱いを間違えて暴走させてしまうと取り返しがつかないことになります。ところが一握りの確信的ないしは狂信的な人間がいるだけで、この暴走が十分に起こり得る時代になりつつある気がします。人間の徳性よりも、科学技術の進歩の方が先行してしまったのでしょうか。予測不能で少し怖い時代の訪れを感じます。

<追伸>
やっとパソコンの修理が終わりました。まだやらなければいけないことが少々ありますが、ボチボチやることにします。

<今日のメロディー>
案山子♪
https://youtu.be/wvgDozsUiKc

 

2019年10月 7日 (月)

好きな者同士の班編制(その2)

私の経験では班編制の実施方法はいろいろありました。機械的(出席番号順や席順など)とか、男女の混合班とか、班人数を平均化しないやり方もありました。好きな者同士の班編制はその方法の一つでした。目的によって班編制のやり方を変えていたと思いますが、大半は好きな者同士だったと記憶しています。

好きな者同士の班編制のメリットを挙げるとすれば、担任主導ではなく、子どもたちの主体的な活動によって班編制をしていることがあります。その結果、以降の班活動に班員の結束が図れる狙いです。担任が、子ども同士の最新の人間関係を可視化できることもありました。デメリットは、結果的に寂しい思いをする子が出たり、やんちゃな子が班で固まる可能性もありました。

私は好きな者同士の班編制の結果を、どうも悪い方向にばかり目を向けていたようですが、そういうデメリットがいつも起こるとは限りません。好きな者同士の班編制で問題が生じた場合、あるいは問題が生じそうな傾向が事前に見える場合には、班編制のやり方という課題を子どもたちに投げかけて考えさせました。昼食時は、そのまま座席を横に向けて2列の席同士を左右正面お互いにくっつけて、顔合わせるようにして話しやすい雰囲気を作りました。

学校の方針として班編制のやり方を決めている学校は、多分ないと思います。担任自身がやり方を決めていると思います。結局のところ、班編制のやり方も、それで問題が生じた場合の解決も、最後は担任の力量如何となるような気がします。

他の担任がどういう方法で班編制をやっているのかは、現職当時はあまり気にとめていなかったことに気づきました。結局は、いずれの班編制も子ども同士の人間関係にぶち当たります。班編制のやり方は学級経営の鍵ともなるべきものです。釣りバカさんのコメントは、私に再び班編制のことを考えるきっかけを与えてくれました。感謝いたします。

2019年9月27日の記事は、2010年12月3日と12月10日の記事を編集して1本にまとめたものです。12月10日の記事を参照してください。

<参考>
「好きな者同士(続き)」2010.12.10
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-da36.html

<追伸>
業者によるパソコンの修理が終了して返却されました。ところが、その翌日にまた起動しません。サポートセンターに再度依頼することになりました。以前のパソコンを保管していましたので、それを再度取り付けてこのブログを書いています。やれやれです。

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