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2019年11月

2019年11月29日 (金)

ま、いいか

つくづく結婚とは不思議なものだと思います。男女がお互いを好きになり、その結果として結婚するわけですが、当初の好きという感情を終生そのレベルで維持できる夫婦は果たしてどれほどいるのでしょうか。(←かなり危険なことを言っています)

夫婦の数だけ夫婦の形がありますが、どの結婚生活も相思相愛の平坦な道ではなく、山あり谷ありのでこぼこ道が普通ではないでしょうか。多少の波風が立つ夫婦の方が、むしろ当たり前な気がします。皮肉な見方をすれば、結婚それ自体は男女の一時の気の迷い、と言えなくもありません。(←これもかなり危険です)

「結婚前は両目をよく見開いて相手を見ろ。でも結婚したら片目はつぶれ」。これは本当です。長いこと夫婦をやっていると、双方が相手に100%はもちろんのこと80%も求めず、せいぜい50%程度で我慢するようになります。「ま、いいか」と、相手への許容範囲が広がってくるのです。すると私たちのようなあまり自慢できない夫婦でも、なんとなくそれなりの形がついてくるから不思議です。「ま、いいか」は、夫婦の形を作りそれを継続させる秘訣だと、私は最近心密かに思っています。(←ブログに書いたので、もう「心密か」ではなくなった!)

経験しないと分からないことが世の中にはたくさんあります。これはその一つかもしれません。今だから言えることです。

下の公園の皇帝ダリア 2019.11.29
P1050226

<今日のメロディー>
里の秋♪
https://youtu.be/h144mLquMFs

 

2019年11月26日 (火)

全ては生き残るため、自己防衛のため

私はアドバイスをしてあげるほどの人生の達人ではありません。ただ、私には気がついたことがあります。人間も動物の一種です。人間の行動や感情の全ては、生き残るため、自己防衛のためにある、ということです。

生き残るために、能力を高めたり、出世しようとしたり、健康であろうとしたり、化粧したり、着飾ったりします。自分の方が優れていると世間に認めてもらおうとして、他人の評判や評価を気にしたり、他人を攻撃したり、しまいには、不甲斐ない自分を責めたり、引きこもりになったり、鬱になったりします。これらは全て自己防衛による結果です。結局は、自分のことだけを考えているのです。

私たちが「いやな人」と思う人は、私たちにいやなことをします。それも「いやな人」の自己防衛です。「いやな人」は、自己防衛のためにそうせざるを得ないのです。同時に、私たちがいやな人に「いやなこと」をされたと思うのも、私たちの自己防衛です。

それから脱却するためには、どうしたらよいのでしょうか。自他を認めること、とりわけ自分を認めること(自己受容)だと、私は思います。ありのままの自分をそのまま認めます。不甲斐ない自分でもよいのです。それでそれまでなんとか生きてきたのですから十分だと、私は気がつきました。それが私の自己防衛です。

<今日のメロディー>
夕焼け小焼け♪
https://youtu.be/PLY-bJG7SQw

 

2019年11月22日 (金)

今は誰も見ない桜

人は他の動物とは違い、今のことだけではなく、過去や未来をも考えることができます。でも脳幹の基本部分では、人も他の動物と同じように、今現在に生きるべくプログラミングされているようです。

だから今はいくら騒いでいても、それが過去になれば人はすぐ忘れます。いい加減な「桜を見る会」も、違法薬物の沢尻エリカも、すぐ忘れるでしょう。山梨県のキャンプ場で行方不明になった小学校1年生の女の子も、もう既に忘れかけています。まだ見つからないのに、です。関係者以外は多分忘れています。人の頭の中は、そのことについてずっと覚えておくようには作られていないのです。

人は自らの一過性を自覚しています。だからメモリアル・デーを作ります。毎年その日がやってくると、そのことを思い出すことができるように工夫しているのです。その日は大騒ぎをします。そしてメモリアル・デーが過ぎれば、次の年のメモリアル・デーが来るまで安心してそのことを忘れることができるのです。

桜が満開だった頃には、大挙して押し寄せて桜見物をしました。桜の木の下では、酒を飲み大騒ぎした人もいました。開花予想が出るくらいに待ち望み、そして花を見て楽しんだ人たちも、今はもう誰も桜には見向きもしません。桜の木がそこにあることすら気づきません。いくら今は花が咲いていないとはいえ、これではあんまりです。

人の大騒ぎも、たった今のひとときです。だから人は健康的でいられるのです。

<今日のメロディー>
さくらさくら♪
https://youtu.be/7fahl47XcPA

 

 

2019年11月19日 (火)

私はな~んにもできない

縄文時代や弥生時代の日本人の生活力は旺盛です。石器や土器を作り、青銅器、鉄器を作りました。動物を狩り、肉を捌いて食料としたり、皮をなめして身にまとう衣類にしました。協力して田を作り、稲を栽培しました。

どんな土が土器に適しているのか、どのように焼けばいいのか、今の私にはまるで分かりません。青銅や鉄をどこからどのように抽出して、どのように器にするのか見当もつきません。動物を狩るのも肉を捌くのも皮をなめすのも、もちろんできません。マッチ、ライターなしに火を起こすことも、稲を作ることもできません。今の自分にもできるのは、せいぜい海辺で貝を拾ったり山でドングリを拾うことぐらいでしょうか。もし私がその時代に生きていれば、親兄弟や仲間に教わってできるようになったかもしれません。時代が違うと言えばその通りですが、今の自分にできないことに変わりはありません。

もし縄文や弥生時代の日本人が車やテレビを見たら、とても驚くだろうと思います。私は車やテレビを見ても驚きませんが、だからと言って車やテレビが作れるわけではありません。そればかりか、どうして車が動くのか、どうしてテレビが映るのかもよく分かっていません。車やテレビを見て驚く縄文弥生の人たちと、たいして変わりはありません。

生活が分化してそれぞれが専門化していくと、「作る・獲る」人と「利用する・食べる」人との距離はどんどんと広がっていきます。多機能の電化製品は使い方が分からず、私はもう見るのも嫌です。電化難民です。「利用する」人同士の距離さえも広がっているようです。人に分からないことやできない領域が今後ますます増えていきます。私は今でもな~んにもできませんが、これからの人たちはもっとな~~んにもできなくなりそうです。

<今日のメロディー>
まっかな秋♪
https://youtu.be/LeTaH-8r2V4


2019年11月15日 (金)

オールドブラックジョー

昭和30年代はクレージーキャッツの全盛でした。団塊世代の私は、当時テレビで随分と楽しませてもらいました。あれから60年が経ち、主要メンバーのハナ肇、植木等、谷啓、今はみんな亡くなりました。昭和40年代はドリフターズが出てきました。ここでもリーダーのいかりや長介や荒井注がもう亡くなっています。にぎやかな連中だっただけに、寂しさもひとしおです。

谷啓の葬儀で、祭壇の遺影に向かってメンバーの犬塚弘(現在90歳。クレージーキャッツの最後の一人)が呼びかけていました。「俺も後から行くから、みんな待っていてくれよ」。仲間がどんどんと消えていくのを、ただ見送るしかないのはどんな気持ちなのでしょう。私は彼らより少し若いので、まだよく分かりません。でもかつての級友の訃報で、あいつも死んだか、ああこいつもかと、かっての仲間が鬼籍に入るのをだんだんと見送る立場になりつつあります。

「若き日 はや夢と過ぎ わが友 みな世を去りて・・・」。オールドブラックジョーの歌を思い出します。ただ一人取り残された者の寂しさと悲しさを、これほど哀切に歌った歌を他に知りません。「かすかに 我を呼ぶ オールドブラックジョー」。人生の長い午後にも、終わりはいつかやってきます。心の準備がまだ出来ていません。

楽しかる 集いの時の 疾く過ぎて
        なべては夢の ごときたそがれ
     (平成12年歌会始 三宅 教子)

<今日のメロディー>
オールドブラックジョー♪
https://youtu.be/DrhNZXppYEc

長安寺の五百羅漢(仙石原)2019.11.12
P1050154

P1050159

P1050141

 

2019年11月12日 (火)

筋書を作る

新聞やテレビ局は、こういう考えで記事を書こう、番組を作ろうという企画がまずあります。企画には主張があります。自分たちの主張に沿った形で記事や番組を構成しようとします。背景には、販売部数の拡大や視聴率アップのねらいもあります。だからその主張は、大衆受けするように構成されます。事実の一部をあえてカットしたり、都合のよい一部をことさら拡大したり、「やらせ」や「ねつ造」まであったりするのはこうした事情によります。

政治家、高級官僚、大企業、役所、学校、教育委員会、児童相談所はよく悪事を隠蔽します、と言われています。そう言われても仕方ない場合もありますが、どちらかと言えば彼らは叩かれる側で新聞やテレビ局は筋書きを作ります。一種の大衆迎合です。結果、ミスリードされた私たちは判断を誤ります。

実は、私たちの心の中にも同じ作用があります。自分に都合の悪い事実や情報は、これを無意識のうちに遠ざけようとします。自分が望む方向に合致した、都合の良い事実や情報のみを取り入れようとします。私たちは自分の心の中でも、あらかじめ筋書きを都合良く作っているわけです。結果、私たちは判断を誤ります。

秩父宮記念公園 2019.11.12
P1050110

長安寺(仙石原)
P1050165

<今日のメロディー>
紅葉♪
https://youtu.be/CwsuMUiztF0

 

2019年11月 8日 (金)

想定内か想定外か

準備不足や対策の不備、見込み違い等を追及される場合があります。追及された責任者や担当者が言い訳をして、その追及を逃れようとする方法は二つあります。

「これは想定内のことです」。本当はもうまずい状態や危険な状況であるのにそれを隠し誤魔化し、安全安心を装いたい時、責任者はこう言います。ですからご心配は要りません、と言いたいのでしょう。やせ我慢や空威張りの時にもこれが使用されます。

「これは想定外のことでした」。誤魔化しようがないくらいに状況が悪化してしまった時は、この文句が使われます。通常はあり得ない、100年に一度あるかないか、誰一人予測し得なかった事態であることが強調されます。だからどうしようもなかった、と言いたいのです。

どちらを使用するかは、状態や状況の危険レベルによります。このレベルが一定の水準を超えたと判断されると、言い訳は「想定内」から「想定外」へと変わります。

私たちの想定を超えるものが存在し、私たちの想定を超えることが起こり得るという想像力が、私たちには必要ではないでしょうか。人智を超えたものに対する畏敬の念、と言ってもよいかもしれません。科学の力は偉大ですが、万能ではありません。もし今安易に「想定外」に逃げ込むならば、この先もずっと「想定外」が続くことになります。

「想定外 その言い訳は 想定内」  (よみうり時事川柳より)

うちから見える夕景の富士山 2019.11.6
P1050101

<今日のメロディー>
夕焼け小焼け♪
https://youtu.be/PLY-bJG7SQw

 

 

2019年11月 5日 (火)

謝罪会見だって八百長

幹部の人たちが立ち並んで一斉に頭を下げます。「誠に申し訳ありませんでした」「今後同じ過ちを二度と繰り返さないよう・・・」。毎度おなじみの謝罪会見です。政治家も官庁も民間企業も学校も教育委員会も、みな同じです。申し合わせて地味なネクタイを着用するのでしょうか。格上がまだ頭を下げているのに格下がもう頭を上げたらおかしいことになってしまいますから、きっと頭を上げるタイミングも決めているはずです。

最初マスメディアが集中砲火を浴びせます。下手な釈明なんかしようものなら大変です。メディアはここぞとばかり更に攻撃の手を強めます。ニュースはこの話題で持ちきりになります。当該の企業又は官庁そして新聞社やテレビ局には、抗議の電話が引きも切らずにかかってきます。なにしろ正義の旗印はこちらにあって相手にはありませんから、みんな喜び勇んでこの攻撃に参加します。こうしてようやく謝罪会見の運びとなります。

恐れ入りましたと、普段は威張っているはずの偉い人たちが揃って頭を下げれば、みんなは溜飲を下げ、ようやく正義の旗も降ろしてくれます。とりあえず一件落着にしてくれます。そのうちにほとぼりが冷め、みんなそんな事件があったことすら忘れ、忘れた頃に次の新しい事件がまた起こり、今度はみんなそれに夢中になります。あの謝罪会見はうまくいったのです。

横領も偽装も隠ぺいも情報漏洩も、そして残念ながらいじめも、これからもずっとあるでしょう。あるに決まっています。謝罪する方もされる方も、共にまた同じことが起こるに決まっていることを知っての謝罪会見で、謝罪の言葉が同じなら追及の言葉も同じです。これを茶番と言いますが、要するに八百長です。双方および観客も周知納得の八百長ですので、どこからも文句は出ません。謝罪会見はそれなりに機能しているのです。

<今日のメロディー>
旅愁♪
https://youtu.be/ak7IfDqvaPY

2019年11月 1日 (金)

片付けの極意

片付け方法を書いた本が最近よく書店に並んでいます。読んだことはありませんが、こういう本がよく出回っているということは、片付けがうまく出来ない人が増えているということだろうと思います。先日、テレビでもその種の番組をやっていました。きっとどの家でも、片付けが出来ないくらいにモノが溢れかえっているのでしょう。

私は自分で言うのも変ですが、片付けは上手な方です。本は本の場所、衣類は衣類の場所です。本の場所に衣類を置いたりはしません。片付けの極意は分類にあります。例えば同じ衣類でも、使用目的等の自分なりのカテゴリーで分類し、分類ごとに置く位置を決めます。よく使うものは出しやすい位置に置き、使用頻度が低いものは上へ下へ奥へ外へとだんだん遠い位置に置きます。ここまでは誰もが知っていることです。

決めた場所がいっぱいで入りきらない時や、それまでの分類のどれにも当てはまらない新しい種類のものが出てくる時があります。片付けの出来ない人は、とりあえず空いているどこかにしまおうとします。この「とりあえず」が一番いけません。最初の「とりあえず」が次の「とりあえず」を生み、終いにその場所は「何でもボックス」化します。新しい場所を設けるか、あるいはカテゴリーを再構築する必要があります。要するに、同じ場所に別の種類のものを置かない、同じ種類のものを別々の場所に置かない、これに尽きます。それが出来ないという人は、これ以上モノを買わないことです。これが一番です。

片付けにも哲学やポリシーが必要です。それがないとグチャグチャになるのは、政治の世界でも同じです。我が家には哲学もポリシーもない同居人が一名おりますので、我が家の「片付け度」は中和され、残念ながら今一歩です。

<今日のメロディー>
村祭り♪
https://youtu.be/l_ic7dbE4FM

子どもの国 2019.11.1
P1050093


P1050099
P1050089
弾薬庫の通風口(昔、「子どもの国」は陸軍田奈部隊の弾薬庫だった)


 

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