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2020年3月

2020年3月31日 (火)

弱虫の虫のいい選択

日本人の年間死亡者3人に1人はガンによる死亡です。次は心疾患と脳血管疾患で、この二つを循環器疾患としてまとめると、これも3人に1人の割合になります。つまり私たちが死ぬ時、3人のうち2人はガンか循環器疾患のいずれかで死ぬことになります。かなり高い確率です。

ガンは余命を宣告された場合、短い人でも月単位の期間が残されます。この間に、病気と闘いながら同時進行で心の準備ができます。残される家族への思いや配慮の時間が確保できます。事態を受け入れなければならない周囲の人間にとっても、この期間はかけがえのない貴重な時間となります。ガンが人に優しい病気と言われる所以です。一方で、残された準備の期間は同時に苦悩の期間でもあります。死んだ後の家族の生活や死後の世界も気になってきます。宗教など頼れるものがない人には、絶望や不安、心の葛藤など迷いも出てきます。これは家族も同じです。

心筋梗塞や脳卒中はほとんど不意打ちで襲ってきます。死を自覚する一瞬すらないような場合もあるでしょう。だからガンのような準備は、本人にも周囲にも通常出来ません。その代わり生前の苦悩はありません。突然死に周囲の驚きと悲しみは一気に高まりますが、それは死後だけのもので済みます。

ガンに罹った人の闘病日記等を読むと、病気に挫けない意志の強さと、病床にあってもなお示そうとする周囲への心遣いに驚かされることが数多くあります。でも心がそれほど強くない私には、不意打ちの循環器疾患の方が好ましいような気がします。出来得るなら痛みのない心疾患か、辛いリハビリのない脳血管疾患、これが弱虫の私の虫のいい選択です。

<今日のメロディー>
朝♪
https://youtu.be/L46Kdg6RaJM

 

2020年3月27日 (金)

のどもと過ぎればうんこの旅

どんな素晴らしい日本料理もフランス料理も、人間の口の中で咀嚼され胃袋へ送られる頃はもうグチャグチャです。胃袋からその先は、もっとすごい状態になっているはずです。でも、食べている時にそれを想像する人はいません。私も想像しません。人間の心理はとても器用だと思います。今、目の前にあるものしか見ないように作られています。そうとしか思えません。

トイレの後、ふと思いました。私のうんこは何処へ行くのだろうと。多分、下水道を通り、どこかの下水処理場で浄化され、そこからどこかの川に流されて海へ行くのでしょう。きっとそれには養分もたくさん含まれているはずです。海のプランクトンがそれを栄養として取り込み、そのプランクトンを小魚が食べ、その小魚を大きい魚が食べ、その大きい魚を人間が捕まえて、夕飯のおかずとして私が食べることになります。そしてそれは再び三たび私のうんことなって海へ向かいます。大いなる命の循環です。

昔、「ミクロの決死圏」というSF映画がありました。人間の医療チームが潜航艇に乗り込み、そのまま超微細になって患者の血管に入って脳の治療を行うというストーリーでした。私も超微細になって料理に紛れ込めれば、きっとうんこに乗って壮大な命の旅を経験できるかもしれません。

<今日のメロディー>
朝だ元気で♪
https://youtu.be/pryYrUNqn-8

 

2020年3月24日 (火)

たまにはもっとほめたらいいのに

世界には196の国があるそうですが、そのうち次の8項目を全てクリアできる国はどのくらいあるのでしょう。私は是非知りたいと思います。

 ①国民の99%以上の人が、今日食べる食べ物にありつける。
 ②国民の99%以上の人に、安全な飲み水と電気が供給されている。
 ③国民の99%以上の人には、歩いていける距離に食料・日用品を買える店がある。
 ④国民の99%以上の人には、所要1時間以内のところに医者がいる。(医療)
 ⑤国民の99%以上の人が、その国の文字を読める。(教育)
 ⑥国民の生命が、他国との戦争や内戦で失われている状況にはない。(政治)
 ⑦国の失業率が5%以下である。(経済)
 ⑧国民には、国の一番偉い政治家に「あんたなんてダメだ、やめちまえ」と言っても、身の安全が保証されている。(思想・表現の自由)

日本の政治も経済も、これがダメあれもダメ、放射能と地震とコロナがこれでもかこれでもかと追い打ちをかけ、新聞は暗い記事ばかりです。たまに良いことが書いてあっても、後から「でも・だが・しかし」が続いてやはり批判や不安に至ります。確かに日本や日本人にはダメなところもたくさんあるでしょうが、良いところもたくさんあるはずです。

私は詳しいデータを持っているわけではありませんが、多分日本は上の8項目の全てをほぼクリアできるのではないでしょうか。資源がまるでない日本で、もしそれが満たされているなら、それは国民の優れた資質とこれまでの国のリーダーたちの優れた指導の賜物ではないでしょうか。けなすばかりでなく、たまにはもっとほめてあげたらいいのにと、時々はそう思います。

お彼岸の墓参り(久保山 花桃) 2020.3.21
P1050786
P1050782

<今日のメロディー>
青春サイクリング♪(←コロナを吹き飛ばしてくれる)
https://youtu.be/_cJy3x7iPwY

 

2020年3月20日 (金)

風向きにご用心

悪人は、いつも悪いことをしているばかりではありません。時には良いこともします。普段は善人であっても、時々は悪いこともします。現実の構図は複雑に入り組んでいます。それを意図的に分かり易い簡単な構図に作りかえる人たちがいます。誰かを英雄に仕立てて褒めそやし、別の誰かを悪者に仕立てて皆で袋叩きにする舞台を設定します。新聞、テレビ、インターネット等のメディアのことです。

袋叩きの構図では、資産のある著名人や政治家、官僚、大企業がとりわけ攻撃の対象になります。国民の大多数はお金持ちでもなければ社会的地位もありません。大多数の嫉妬は正義の仮面をかぶって彼彼女を攻撃し、メディアはこれに迎合します。メディアは営業上、大多数に勝てませんから大多数に迎合せざるを得ないのです。

作られた構図は実相ではありませんから、当然ながらそうとばかりは言えない部分や別の視点がやがて浮かび上がってきます。ようやくキャンペーンも一段落して、大多数の風向きも少し変わります。とたんにメディアは巧みに軸足をずらし、「ここは冷静な対応が必要」とか言い出します。自分たちが煽った結果の大多数の過熱なのに、それは頬被りです。

メディアと相互に影響しあって国民大多数の風向きが決まります。それは変わりやすい風向きです。定まったとしても、その風向きが常に正しいとは限りません。あらぬ方向に導かれぬよう気をつけた方がよいと思います。それはメディアの責任ではありません。私たち国民大多数の責任です。

<参考>
「情緒に訴えるのは確かに効果的だが」2016.7.29
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8176.html

<今日のメロディー>
「ハイキングの唄」(←コロナで憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる)
https://youtu.be/Kf6FikL4drQ 

 

2020年3月17日 (火)

墓地の効用、墓参りの効用

墓地へ行くと、なぜか気持ちが落ち着きます。多分血圧も安定しているはずです。墓石を見ると、その人が死んだ日まで自分が引き戻されます。その人が生きていた時代に思いを馳せます。墓地は死ではなく、むしろ永続性や連続性を感じさせてくれる場所です。

矛盾するかもしれませんが、墓地は同時に限りある命を自覚させてくれる場所でもあります。喜びも悲しみも楽しみも苦しみも、すべては限りある命の中での話です。喜びや楽しみが大切なものに、悲しみや苦しみが一時のものに思えてきます。死も当たり前のこととして受け入れられそうな気がしてきます。私の場合、ひらめきを生むのは100円ショップですが、深く考えるには墓地が最適です。

先祖を敬う人間に悪人はいません。だから墓参りをする人間は善人に決まっています。日傘をさして水桶を持って墓地の向こうから歩いてくる女性は、すれ違う時傘をかしげて道を譲ってくれるでしょう。その時きっと、微笑みながらこちらへ軽く会釈もしてくれるはずです。だから美人に決まっています。墓参りする子なら素直な子で、きっと孝行息子孝行娘でしょう。墓参りを終えた人は揃ってみな、安心と満足の善男善女の顔立ちです。墓参りの所作には、人をしてそう思わせる何かがあります。墓地は死んだ人のための場所というよりも、多分生きている人のための場所なのです。

今週から春のお彼岸ですのでこの話題にしました。

<今日のメロディー>
昼の憩い♪
https://youtu.be/j_mTMWm7Z-A

近隣で摘んだ野蒜(ノビル)を酢味噌で食べた 2020.3.15 

P1050768

 

 

 

2020年3月13日 (金)

ヒヤリ・ハットの法則

「ハインリッヒの法則」というのがあります。アメリカの技師ハインリッヒが発表した法則で、1件の重大災害(死亡・重傷)が発生する背景には、29件の軽傷災害と300件の無傷災害(ヒヤリ・ハット)があるというものです。「1:29:300の法則」とか、「ヒヤリ・ハットの法則」と言われます。ご存知の方も多いと思います。

学校現場でも、毎日のようにこのヒヤリ・ハットがあります。たとえば、一人の子どもが朝学校へ登校しませんでした。担任は親から何の連絡もなかったので、親が連絡を忘れたんだろう、そういえばこの親はこの前も連絡を忘れていたな、今日も欠席かなと考え、家庭へ確認の電話を入れましたが誰も電話口に出ません。親は子どもを病院へ連れて行っているのかもしれない、あるいは親が早朝に出勤した後、子どもが急に具合悪くなり一人で寝ているのかもしれない、あとで親のケータイか勤務先へ電話して確認しよう、と担任は考えます。(→忙しくても、今すぐ親のケータイへ!)

担任は午前中の授業がつまっていたため(→忙しければ、他の職員に頼む!)、親の勤務先に電話をしてやっと親がつかまったのはもう昼過ぎでした。今朝はいつも通りの時間に登校したという親の話になり、ここで初めて親も担任も子どもがどこかへ行ってしまったと気づきます。大抵の場合、子どもはゲームセンターかどこかで遊んでから帰宅して、親からみっちりと叱られることで一件落着します(300件の無傷災害ヒヤリ・ハット)。でも中には、登校途中でちょっとした事故やトラブル(29件の軽傷災害)に巻き込まれていたとか、そのまま家出してしばらく行方がつかめなくなってしまうとか、もっと不幸なケースでは交通事故、自殺や誘拐(1件の重大災害)も考えられます。

ヒヤリ・ハットは素知らぬ顔をして我々の目をすり抜けようとします。全ての重大事件も、最初はありふれた事柄(親から欠席連絡がないのに子どもが学校へ姿を見せない)としてもたらされます。今回の新型コロナウィルスの件もそうでした。武漢の保健当局(あるいは中央政府)が、こんな世界的な大ごと(1件の重大災害)になるとは思わず、最初のヒヤリ・ハットの段階での公表を躊躇いました。私たちも油断はできません。

<参考>
「教育・学校」編 バックナンバー 
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-d1e82d.html

寒緋桜と春霞 2020.3.11(三保市民の森)
P1050756
P1050745



 

2020年3月10日 (火)

老いは受け入れるしかありません

かかりつけ医が、最後に私にこう言いました。「年を取ると色々なことが起きますよ」。70歳を超えた辺りで、私は確かにそうでした。今までにないことが体に起きています。

夜中にトイレに起きるのは2回、ひどい日は3回になりました。70歳前にもトイレに起きましたが、今はその回数が増えたのと、再入眠に時間がかかるようになりました。

私は若い時は歩くのが速かったです。急いで歩いている時に、目の前の高齢者が邪魔だったのを覚えています。私自身が高齢者になって解りました。高齢者は体の急転換ができないのです。今、私は急転換する時に足がふらつきます。ズボンの脱ぎ着、靴下の脱ぎ着の時も体がふらつきます。足腰の筋肉が衰えたせいと思いますが、脳の影響かもしれません。

薬の錠剤を手から落とすようになりました。シートから錠剤を取り外そうとする時によく落とします。気をつけても落とします。小銭を財布から出すのにも苦労するようになりました。いつしか、箸もうまく扱えなくなっているのに気付きました。脳から指先への指示や伝達が難しくなっているのでしょうか。

一番困るのは、言葉が出にくくなったことです。適切な単語が出てこないのです。MRIの検査で、軽い脳出血(2か所)と小さい血管が脳梗塞(多数)を起こしていました。隠れ脳卒中というそうです。発話する時は、つっかえつっかえになります。特に、「か行」と「た行」が発語困難です。電話をかける時はあらかじめ文章をこしらえて、それを読むように対処しています。電話がかかってきた時は大変です。しっちゃかめっちゃかになります。一方、いまのところ歌はスラスラ歌えます。発話と歌は、それぞれ脳内の別の領域を使用しているのでしょうか。

3日前にも大切な鍵を失くしました。探しましたが見つかりません。多分、家の中にあると思います。しまった場所を忘れているのでしょう。仕方なく、新しい鍵を作るつもりです。最近、物や予定を忘れることが多くなりました。

上記は私の病状日記です。昔はこうでなかったのになあと、歯がゆい思いをします。誰しもがいずれは老います。遅らせることは出来ても、老いは受け入れるしかありません。

<参考>
「定年後・高齢化社会」編 バックナンバー
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-767460.html

小坊主と木蓮 2020.3.6(恩田川沿いで)
P1050711
P1050707


 

2020年3月 6日 (金)

怒らない人怒る人

今の親は子どもを叱る時、昔のように滅多に叩いたりはしません。そればかりか、隣近所から児童虐待で通報されかねませんから、やたら大声で子どもを怒鳴ることもできなくなりました。学校の先生は生徒の非行を見つけても、まずはひと呼吸おいて冷静になる必要があります。怒りにかられてうっかり生徒の身体に触れようものなら、後で体罰だと言われて批判や処罰の対象になりかねません。家庭や学校でそうして育てられた子どもたちが、既に成人して社会に出ています。会社の上司が良かれと思って彼らを叱っても、叱られることに慣れていない彼らはそれをパワハラだと受け取るかもしれません。

怒る時叱る時、躊躇や遠慮が出てくる時代になりました。怒るべき時にしっかりと怒るにはある程度の勇気が必要で、その勇気がない人は「話し合い路線」に向かいました。

怒らない人怒れない人が増える一方で、怒ってばかりの人も増えました。ルール違反をして注意を受けると、その注意を認めて受け入れることは、自分はダメな人間だと認めることになると思い込んで自尊感情が傷つくようです。だから、悪いのは自分ではなく相手だと考えて、相手に怒りをぶつけることで自分の身を守ろうとします。自分に自信がない人ほどよく怒ります。終いには、始終だれかを攻撃していないと不安になるのでしょう。いじめっ子にも常習的なクレーマーにもネット上の悪口にも、同じ不安が内在していると思います。口汚いトランプさんも、ミサイルを飛ばす金正恩さんも同じです。彼らは弱い自分をどこかで自覚していますから、その不安と怯えを打ち消すため、攻撃や怒りのはけ口をいつもどこかに求めずにはいられないのです。

中間層が薄くなっているのは経済だけではありません。怒るべき時に怒らない人と、怒らなくてもいいのに年がら年中怒っている人ばかりになりました。そう言えば我が家にもそういう人が一人ずついるようです。誰がどっちかはとても言えませんが。

<参考>
「こころ」編バックナンバー
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-168819.html 

<今日のメロディー>
湯島の白梅♪
https://youtu.be/Bkh9dcX_lBo

 
追分市民の森 2020.3.3
P1050685

三保市民の森 2020.2.29
P1050675




2020年3月 3日 (火)

我が物と 思えば軽し 笠の雪

どこかで出会ってとても気に入ってしまった歌、というのが誰にもあるのではないでしょうか。私の場合は例えば次のような歌です。先ずは、俺ばっかりがどうしてこんな目に遭わなければならないんだ、と考えて落ち込んでいる人を励ましてくれる、あるいはお尻をドンと蹴飛ばしてくれる歌です。とても勇気づけられます。

    すえずえは 海となるべき 山水も
       しばし木の葉の 下をくぐるなり

    憂きことの なほこの上に 積もれかし
       限りある身の 力試さむ (熊沢蕃山)

    我が物と 思えば軽し 笠の雪、という標題の句も同様ですね。
    我が雪と 思へば軽し 笠の上(宝井其角)

人生とは、逃したチャンスと妥協することだと言われます。何かを選択することは、同時に何かを捨てることでもあります。次の歌は、あの時選ばなかったもう片方の道への感慨です。恐らくこの歌は大多数の人の偽らざる気持ちでしょう。上皇后美智子様の御歌です。

    かの時に 我がとらざりし 分去れの
       片への道は いづこ行きけむ

次の歌は、人生の最後や晩年に臨んでその思いを詠んでいます。最後まで潔く意気盛んな歌と、もう一つは反対に、哀惜や哀愁が漂う心静かな歌です。どちらも私は好きです。

    身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
       留め置かまし 大和魂(吉田松陰)

    楽しかる 集いの時の 疾く過ぎて
       なべては夢の ごときたそがれ(三宅教子) 

最後は総理向けです。この気持ちで国政に励んで欲しいと思います。 

    菊作り 菊見るときは 陰の人(吉川英治)

<今日のメロディー>
うれしいひなまつり♪
https://youtu.be/cMSDUMoPRXM

桃の花(三保市民の森)2020.2.29
P1050666
P1050663


 

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