« 2020年6月 | トップページ | 2020年8月 »

2020年7月

2020年7月31日 (金)

教師は怖い職業です

小さい頃教わった先生たちのことを時々思い出すことがあります。思い出される先生の言動のうちのあるものは、自分が大人になった今改めて再吟味してみると、子どもの頃には気づかなかった先生の素顔をそこに新たに発見する、というようなことがあります。

教師だった自分も、教え子たちに今同じように再吟味されているかもしれません。私は若い頃ずいぶんと適当なことを言ったりやったりしたような記憶がありますが、実はあまり覚えていません。ところが教え子たちはそれをしっかりと覚えていて、その時の私の言葉や行動の意味をあとで反芻している可能性があります。私自身もその後多少は成長したかもしれませんが、生徒にとってその後出会わない教師はその時点の記憶で止まっているわけです。つまりは、立派な見識を持つ大人になったかつての教え子たちが、未熟だった私の言動を思い出し再吟味して再評価するのです。こちらの記憶がはっきりしないだけに余計に怖ろしくなります。

特に若い先生には言いたいです。迂闊な言動には注意しろ、相手を子どもと思って侮るな、40年後を考えろ、と。 


ベランダに来たキジバト夫婦?(スズメの餌場を荒らしている)2020.7.31
P1060057

P1060063

 


<今日のメロディー>
風鈴♬
https://youtu.be/bhXynTB_Rt0

 

2020年7月28日 (火)

是々非々

野党は政府の政策を大体けなします。めったに評価することはありません。首相の演説への感想を求められると、野党の党首はきまってクソミソにこき下ろします。

政府だって時々は良いこともするし、良い政策だって出すはずです。全部良いものもない代わりに、全部悪いものもないはずです。批判勢力は必要ですが、だからと言って批判だけしていればよいというわけではありません。自分たちが同じ立場に立ったら、きっと似たようなことをするであろうことまで批判するのはちょっとおかしいと思います。今は、良いところは良いと素直に認める政党や議員の方がむしろ評価される時代ではないでしょうか。

外国と一緒になって野党が政府を攻撃するようなことはさすがになくなりましたが、特に中国や韓国に対してはどちらかと言うと野党は遠慮がちです。政府も自省的かつ自制的ですが、この傾向は野党の方が強いと思います。その一方で、アメリカに対しては野党は強気です。

まとめるべき外交問題で日本の中に割れ目ができていれば、対立する外国はそこを巧みに突いてきます。北方領土、尖閣諸島、竹島など、領土問題で本当に日本の主張が正しいのなら、野党はもっと政府を後押しした方がよいと思うのですが、残念ながらあまり協力的ではないようです。どうしてでしょうか。是々非々では、野党の立ち位置が不安定になるのでしょうか。

 

2020年7月24日 (金)

民度は向上するのか

日本が尖閣諸島を国有化した時、激高した中国人は大挙して中国内の日本のデパートや日本食レストランを襲撃して破壊と強奪の限りを尽くしました。日本で「竹島の日」式典に政務官が派遣された時、韓国内では日本製品不買運動が起きました。興奮した韓国人の一人は、カッターナイフで自分の腹を切りました。中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした時も、中国海軍の艦船が自衛隊の護衛艦にレーダー照射した時も、日本人は誰一人として中華街のレストランを襲撃しませんでした。韓国の大統領が竹島に上陸した時も、韓国製品の不買運動も切腹事件も日本では一切起きませんでした。

中国や韓国では政府の指導者はとても大変です。弱腰と受け取られると国民や政敵から批判の矢が向けられますので、彼らは日本に対し強硬にならざるを得ません。強硬になればなったでどこかで収束を図らなければなりませんが、その手段やタイミングを間違えるとまた国民感情に火がつきます。やむなく国内向けには強硬の形を取り繕った上で収束を図ることになりますが、これは非常に難しい舵取り作業になります。行きすぎた反日教育のツケとして、ナショナリズムの暴走と彼らは常に向き合っていかなければなりません。とても大変です。

その点日本の指導者は安心です。日本人は他国の車を壊したり大使館へ投石したり国旗を焼いたりはまずしません。国民は感情に走らず冷静な対応ができます。政府が国民感情の暴発暴走を気にすることなく他国と向き合えるのは、日本の強みの一つと言えるのではないでしょうか。私はそう思います。

日本人の礼儀正しさやおもてなしの心、街の清潔さと治安の良さ。海外から来る外国人は皆驚くそうです。私たち日本人はいつからこんなに民度が高くなったのでしょう。日本人は皆マスクをするなど、私たちの同調性が原因という人もいます。戦前の日本人のナショナリズムの態様は、今の中国や韓国の人たちと同じようだったのでしょうか。今はその時より民度が向上したのかもしれません。それとも、民度とは向上するものではなく、ただ国民性の現れに過ぎないのでしょうか。だとすれば、今後もずっと厄介な近隣との対峙を余儀なくされることになります。

もうすぐ収穫(ベランダのゴーヤ)2020.7.23
P1060047_20200724073901

2020年7月21日 (火)

その時々で両方をうまく使う(しかない)

ダメなことはダメと、きちんと厳しく子どもを叱ってくれる先生が学校には必要です。一方、子どもの主体性を尊重し、受容的な態度で子どもと接してくれる先生も必要です。この両方の立場を一人で使いこなせる先生がもしいれば、それは指導力のある先生ですが、現実にはなかなか難しいものがあります。そこで普通学校では、別々の先生がそれぞれの立場を自然と分担することになります。ところがこれがしばしば問題を引き起こすことになります。

厳しい先生は子どもに怖れられ、場合によっては嫌われます。やや損な役回りです。子どもに受容的な先生が次第に人気取りに見えてきます。そんなに甘やかすから子どもが言うことを聞かなくなる、と考えるようになります。一方で受容的な先生は厳しい先生に批判的になります。あんなに厳しくしては子どもは萎縮するか反発するだけ、と考えます。こうして学校内の指導の足並みは乱れてきます。

我が子の教育や躾をめぐって、同じことが家庭内でもしばしば起こります。父親「おまえが甘やかし過ぎるからだ!」母親「あなたが厳し過ぎるのよ!」、父親「おまえが普段口うるさく言い過ぎるからだ!」母親「たまににしか子どもと接しないくせに、あなたはいいとこ取りしているわ!」、とまあこんな具合です。両親の足並みも乱れてきます。

日本の対北朝鮮政策もまあ同じようなものです。厳しい対応で圧力をかければ、相手は余計頑なになり対話の窓口を閉ざしてしまうのでは、と批判されます。対話の窓口を閉ざさないよう慎重に事を運べば、だから北朝鮮はつけあがる、とこれまた批判されます。日本の対北朝鮮政策は今思案を余儀なくされています。

学校内でも家庭内でも国内でも意見の対立はいつもあります。だからといってこれが絶対といった正解は必ずしもありません。だから対立する必要は本来ないのです。その時々で両方をうまく使いこなすしかありません。

2020年7月17日 (金)

エスケープ・フロム・アンニュイ

犯罪を犯した若者に、取調官が問い質しました。「おまえ、何でこんな馬鹿なことをやったんだ!」。その時の若者の答えが表題です。「倦怠からの脱出」という意味です。こんな理由で犯罪をやられたらたまったものではありませんが、青年期特有の虚無感や格好づけもあったのでしょうか。だいぶ昔ですが、新聞記事で読んだ覚えがあります。

いつものように職場へ行くため朝家を出ました。でも途中から急に職場へ電話して、今日は体調がよくないので休むと伝えました。自宅の妻へは何の連絡もしませんでした。つまりは「ふけた」わけです。小心者の私には大冒険でした。どこかで一日遊んで夜に帰宅したところ、「どこ行ってたの!」と妻にきつく言われました。その日に限って、昼間に職場の同僚から私に仕事のことで問い合わせの電話があったそうです。職場と妻の双方に私のウソがばれてしまいました。妻には叱られ、翌日は職場の同僚から、「昨日は奥さんに怒られなかった?大丈夫だった?」と心配されてしまいました。たまたま当時私は目を患っていて、それを悩んで私がプチ家出でもしたと思った上司からは、「必ず治るから心配するな」と励まされてしまいました。散々な目にあいました。若い頃の経験です。私のエスケープ・フロム・アンニュイは、後にも先にもこの時一度だけです。

出勤途中で職場をずる休みして、「どうしてこうなったのかなあ」と温泉地の温泉に昼から浸かりながら中年男性がつぶやくテレビのCM(何のCMかは忘れた)が以前ありました。誰しもこれをやりたいと願っているんだなあとその時思いました。楽は苦の中にあってこその楽です。今私が同じことをやってもきっと楽しくないでしょう。現役の皆さんもやるなら今のうちです。コツは計画的でなく突如やることです。リフレッシュできますよ。但し、ばれないようにね。

第一次収穫(ベランダのミニトマト)2020.7.17
P1060019_20200718080301

<今日のメロディー>
花火♬
https://youtu.be/ah9uKRuQy58

 

2020年7月14日 (火)

あいまい文化(突き詰めない日本人)

小利口(小馬鹿)、小綺麗(小汚い)、小賢しい、小生意気、小難しい、小粋。小で始まる言葉は結構たくさんあります。小耳、小鼻、小首、小腹、小一時間などもあります。小を使うことで意図的に少しポイントをずらし、曖昧さを保ちながらそこに別のニュアンスも加えています。ストレートは野暮だ避けたいという気持ちも窺えます。

曖昧なジャパニーズ・スマイルは、外国人からは不可解と言われます。親族の葬式でさえ微笑む日本人の心情は、確かに外国人には理解が難しいかもしれません。相手を同じ悲しい気持ちにさせまいという配慮や、他人に自分の悲しみをストレートに見せることへのためらいは、日本人に独特の心情でしょうか。ストレートなリアルさを競う西洋の蝋人形に日本人がやや違和感を覚えてしまうのも、多少はこれと関係があるかもしれません。

私たちは家族でクリスマスを楽しんだあと、初詣に神社へ行き、お葬式の時はお寺さんを頼ります。こだわりが少なく、曖昧なまま吸収し消化する文化です。主張が弱く不明確で玉虫色のため誤解を受ける可能性もありますが、自他を追いつめずに妥協と言い訳の余地を残します。自分にも相手にも優しく協調性にすぐれます。ずらしてぼかして曖昧さを残すのは、日本人と日本文化の主要な構成要素の一つのような気もします。

日本的なものへの反省や批判はいくらでも耳にしますので、良い点にもふれてみようと試みました。が、どうもうまくいかなかったようです。お後を宜しく。

 

2020年7月10日 (金)

マスクをする、しない(三者三様)

中国は共産党の一党独裁だから政府の統制が効く。国民は政府の言うことを聞く。聞かざるを得ない。マスクをしなければいけないなら、罰せられるから一人残らずマスクをする。コロナ抑止に効率的。その代わり国民の自由はない。

アメリカは民主主義国家だから、個人個人の自由な判断に基づいて国民は行動する。政府がマスクをした方がいいと言っても、国民の多数はそれに従わない。大統領だって従わない。結果、多数の国民はマスクをしない。国民の自由はあるが、コロナ抑止に失敗する。

日本はどうか。一応、民主主義国家。政府の統制は効かない。だから、政府は国民の自粛を呼びかける。国民の判断に任せる。政府は国民の民度(実は同調性)に期待する。他人に迷惑をかけると案じて、あるいは後で責任を問われるのはマズイと心配して、国民はみなマスクをする。結果、コロナ抑止に効果的。政府に対しては自由はあるが、世間に対しては不自由。マスクをしなければ、罰則はないが世間から袋叩きにあう。三者三様。

ベランダのゴーヤ(あとは大きくなるのを待つだけ)2020.7.7
P1060003
P1050988

2020年7月 7日 (火)

数の数え方

英語の数えられる名詞と数えられない名詞、複数形の作り方とその発音、英語を習いたての生徒にはかなり面倒な学習です。でも日本語の数え方に比べれば、英語のそれは何ということはありません。日本語を学ぶ外国人にとって、日本語の数の数え方ほど面食らうものはないのではないでしょうか。

紙は1枚2枚と枚で、木は1本2本と本で数えます。車は台、本は冊、椅子は脚、服は着で数えます。同じ生き物でも虫は匹、魚は尾、鳥は羽、大きな動物は頭で数えます。まだまだたくさんあります。私などは魚も匹ですし、匹なのか頭なのかよく分からない動物もたくさんいます。帽子や墓や硯にも数え方があるようですが、これも分かっていません。分からない時は、とりあえず1個2個か1つ2つで済ませます。日本人の私でもそうですから、外国人はもっと分からないでしょう。

「1・2・3・4」は「いち・に・さん・し又はよん」と読みますが、「1つ・2つ・3つ・4つ」では「ひと(つ)・ふた(つ)・みっ(つ)・よっ(つ)」、「1個・2個・3個・4個」では「いっ(こ)・に(こ)・さん(こ)・よん(こ)」、「1人・2人・3人・4人」では「ひと(り)・ふた(り)・さん(にん)・よ(にん)」です。同じ1・2・3・4でも使い方で読み方が変わります。さらに、「1本・2本・3本・4本」は「(いっ)ぽん・(に)ほん・(さん)ぼん・(よん)ほん」のように、同じ本がぽんほんぼんと読み方が変わります。日本語を学ぶ外国人は怒り出さないのでしょうか。

こうした数の数え方は煩雑で面倒ではありますが、日本語の豊かさの現れでもあります。それは日本人の感情の豊かさや細やかさに結びつき、日本文化の多層や伝統を示すものと言ってもよいのではないでしょうか。とりわけ、「1個上の学年」とか変な言い方をよく耳にする最近は、特にそう思います。「1個」上の学年ではなく、「1個上」の学年という変なイントネーションで聞けば、尚更にそう思います。 

<今日のメロディー>
七夕さま♬
https://youtu.be/3WSglvq06Go

2020年7月 3日 (金)

細菌も人も星も

人間の体内には微生物の一種である細菌が無数に住み着いています。常在菌というそうです。特に腸内には、一人あたり100種類以上、数で約100兆個もの腸内細菌が住んでいます。成人一人に存在する腸内細菌の総重量はおよそ1.5㎏で、一列に並べると地球2周半もの長さになると書いてありました。1個では目に見えない細菌ですので、想像を超える数であることが分かります。彼らは宿主(人)が摂取した食物に含まれる栄養分を栄養源として生活し増殖しています。

体内に住む細菌のうち、人の健康維持に貢献する「善玉菌」は20%、人に害を及ぼす「悪玉菌」が10%です。「善玉菌」は人にエネルギー源を供給したり、外部から侵入した病原細菌の増殖を防いだりしてくれています。「善玉菌」「悪玉菌」以外は、良い働きも悪い働きもする「日和見菌」と呼ばれ、これが70%を占めています。

ただ面白いのは、「善玉菌」でも他の菌と作用し合うと悪さをするヤツがあったり、「悪玉菌」でも状況次第では良い働きをするヤツもあったりすることです。なんだか私たちにとてもよく似ています。異なった種類の細菌が、お互いにせめぎ合いながらもバランスを保って生態系を築いています。お互いが共生すると同時に、宿主である人とも共生しています。このバランスが崩れると、宿主(人)が病気になります。

私たち人間も、地球という殻に住み着いている一種の微生物のようです。善人、悪人、日和見人がいて、相互に作用し合いながらバランスを保ち、他の種類の生き物とも共生しています。このバランスが崩れると、戦争になったり地球環境が破壊されます。地球の病気です。そして地球自身も、太陽から恩恵を受けながら、他の星々ともバランスを保ちつつこの宇宙で運動し存在しています。体内の細菌も人も星も、それぞれの宇宙の中でバランスを保ちながら一生懸命に生きています。

<参考>
「宇宙・SF」編バックナンバー
nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-b1a44b.html

あとは色づきを待つだけ(ベランダのミニトマトとブラックベリー)2020.6.29   
P1050978_20200702194001
P1050980_20200702194001

 

« 2020年6月 | トップページ | 2020年8月 »