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2020年7月21日 (火)

その時々で両方をうまく使う(しかない)

ダメなことはダメと、きちんと厳しく子どもを叱ってくれる先生が学校には必要です。一方、子どもの主体性を尊重し、受容的な態度で子どもと接してくれる先生も必要です。この両方の立場を一人で使いこなせる先生がもしいれば、それは指導力のある先生ですが、現実にはなかなか難しいものがあります。そこで普通学校では、別々の先生がそれぞれの立場を自然と分担することになります。ところがこれがしばしば問題を引き起こすことになります。

厳しい先生は子どもに怖れられ、場合によっては嫌われます。やや損な役回りです。子どもに受容的な先生が次第に人気取りに見えてきます。そんなに甘やかすから子どもが言うことを聞かなくなる、と考えるようになります。一方で受容的な先生は厳しい先生に批判的になります。あんなに厳しくしては子どもは萎縮するか反発するだけ、と考えます。こうして学校内の指導の足並みは乱れてきます。

我が子の教育や躾をめぐって、同じことが家庭内でもしばしば起こります。父親「おまえが甘やかし過ぎるからだ!」母親「あなたが厳し過ぎるのよ!」、父親「おまえが普段口うるさく言い過ぎるからだ!」母親「たまににしか子どもと接しないくせに、あなたはいいとこ取りしているわ!」、とまあこんな具合です。両親の足並みも乱れてきます。

日本の対北朝鮮政策もまあ同じようなものです。厳しい対応で圧力をかければ、相手は余計頑なになり対話の窓口を閉ざしてしまうのでは、と批判されます。対話の窓口を閉ざさないよう慎重に事を運べば、だから北朝鮮はつけあがる、とこれまた批判されます。日本の対北朝鮮政策は今思案を余儀なくされています。

学校内でも家庭内でも国内でも意見の対立はいつもあります。だからといってこれが絶対といった正解は必ずしもありません。だから対立する必要は本来ないのです。その時々で両方をうまく使いこなすしかありません。

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