« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »

2020年9月

2020年9月29日 (火)

持ったが病で治らない

相手を揶揄するような新聞コラムを読んで、TVコメンテーターの声高な正義の主張を聞いて、SNSで相手を誹謗中傷する書き込みを見て、私は時々思います。責任の埒外に自分の身を置いて、安全地帯から批判だけしている。読者視聴者からそう思われてしまうのではないかと、彼らは心配にはならないのでしょうか。

弱者の味方をしたつもりで、弱者にも一矢があるとでも言いたげですが、実際には彼らは強者の側の人間です。橋下さんは時々言います。「評論家は楽だ。実行しないでいいんだから」。評論家だって私は大変だと思いますが、橋下さんのこの言い分のもう半分は当たっているような気もします。

相手の立場に同情や理解ばかり示していると、真実を追及しようとする力が落ちるかもしれません。批判を抑えて敵を作らないことで、自己防衛を図っているという側面もあるでしょう。それでも私は思います。その立場でなければ分からないことがありますが、私たちの大半はその立場には立ちません。もし同じ立場に立ったなら、ひょっとして自分だって同じようなことをするかもしれないという気持ちを、多少は持ってもよいのではないでしょうか。

「その人の靴を履いて1マイル歩いてみるまで人を批判するな」という外国の諺もあります。そういう気持ちを心の隅にいつも持ちつつ、時々私も揶揄する側のコラムニストになってしまいます。持ったが病で治りません。

稲刈りのあと(近辺の田んぼ)
P1060250

P1060257

2020年9月25日 (金)

未完の完

最近の映画ではあまり見かけませんが、昔の映画では終わりの画面に「完」という文字がよく出てきたのを覚えています。それが終わりという意味なのは、見ていた子どもの私にも分かりました。完全、完璧、完成、完了という言葉があるくらいですから、「完」という言葉には、「全く文句のつけようがないくらいに仕上がった」、というような意味がどうやらあるようです。

人生に悩み事心配事は付き物で、それあってこその人生。もしそうしたものがなくなれば、それは人生自体が既に終わったということ。こういう良い話を最近耳にしました。なるほどそう考えればいいのかと、目からウロコでした。

絵描きは、明日の朝起きたらキャンバスにあの色を塗ろう、と思って夜、床に入る。そのまま朝が来なかったその日まで、明日こそはの思いを毎夜毎夜繰り返して死ぬ。これは絵描きのH先生から聞いた話です。なるほどそうだろうなと思い、これにも感心しました。

上の二つの話に共通しているのは、「未完」という言葉です。悩み事や心配事が全て解決されてゼロの状態なら「完」、自分が塗りたい色を全て塗り終わって作品が仕上がれば「完」ですが、実際には悩み事心配事は尽きず、色は塗り終えず作品は出来上がりませんから、ここでは「未完」になります。多分大多数の人の人生とは、結局はそういうものなのかなと思います。でも、それはそれでそれなりに人生を全うしたということになるわけですから、まさに「未完の完」です。たとえ未完の大器のまま人生が終わったとしても、その人の人生は素晴らしく「完」だと思います。

<今日のメロディー>
どんぐりころころ♬
https://youtu.be/8j_4WtwnbX0

 

 

2020年9月22日 (火)

墓石は語りかける

私は墓地が好きです。春と秋のお彼岸には両親の墓参りをしますが、それ以外にも時間があれば自宅周辺の墓地を散策します。周囲にはお寺さんが多いので、散策する墓地はいくらでも見つけることができます。大きな墓地ともなると、最近は無料ガイドが有名人のお墓などを案内してくれますが、やはり墓地は一人歩きに限ります。

墓石に目をこらすと、陸軍伍長○田○夫が南方の○○島にて戦死、などと記されています。戦死して勲○等をもらったとか、二階級特進とか記されていることもあります。その人が亡くなった年号とその時の年齢を改めて見ると、この人はどんな気持ちで死んだのだろうか、残された家族はその後どうしただろうか、いろいろな思いが巡ります。

墓石にはそれを建てた人の気持ちがこもっています。そればかりか、墓の主さえもが何かを訴えているような気がします。この人を忘れない、俺を忘れてくれるな、その気持ちや訴えが墓石には刻み込まれ、それが時を越えて私に語りかけてきます。

かなり古い墓石もあります。宝永とか享保とか嘉永とか刻まれているのがかろうじて読み取れます。墓石の一部は既に欠け、朽ち果てようとしています。皇族や豪族のとてつもなく大きな墓だって、いつしか誰のものか分からなくなるくらいですから、庶民の墓などはあっという間に忘れ去られてしまうのでしょう。

訪れる人もなく、その朽ち果てる寸前の墓石の主が、今際の一言を私に語りかけてきます。私が立ち去った後、私が最後の話し相手となったその主は、間もなく本当の永遠の眠りにつくことになります。

P1060200

P1060196

2020年9月18日 (金)

2027年問題

以前、2007年問題が話題になりました。この年は、1947年~49年に生まれた団塊世代の大量退職が始まる年でした。約680万人のこの世代が、大挙して退職することによる様々な社会的影響が危惧されました。が、そのほとんどが杞憂でした。団塊の世代は、第一線を退いてもすぐには完全退職せずに、ほとんどが嘱託のような形で継続雇用されました。年金もまだ満額支給されず、ダウンした給料ではあっても働き続けなくてはなりませんから、これはまあ当然のことでした。団塊世代の退職時期が「さみだれ型」になったことで、その影響はやや緩和されたようです。

私の団地(約14,000人居住)でも、高齢者だけの世帯が増えてきました。今年3月末時点で、65歳以上の高齢化率は51.1%です。まだ元気なうちは、老夫婦だけの生活や一人暮らしも出来るでしょうが、体の自由がきかなくなった時には、やがて介護の問題が出てきます。

団塊世代の「大量寝たきり」がやがて始まります。これが2027年頃からです。こちらも現象の発生は「さみだれ型」ですが、その蓄積は、およそ10年間は継続することになるでしょう。その時、国の社会保障制度はしっかりと機能してくれているでしょうか。老人ホームの数やベッド数は足りているでしょうか。そこで働く人たちは、希望をもって仕事をしているでしょうか。2007年問題よりも、こちらの方がよほど重大です。

団塊世代は、かつて日本の経済や社会の牽引役になったという強い自負心を持っています。この自負心を背景に一言居士も多く、団塊世代が不安や不満を持てば、そのエネルギーは一大勢力になります。社会不安は政治不安へと発展するでしょう。どうやら毎年「敬老の日」が来るたびに、この問題が繰り返し心配になります。団塊世代の私は、2027年問題がとても心配です。

咲き始めたベランダの極楽鳥花(合計4つ咲く予定)
P1060190

 

2020年9月15日 (火)

メサイアコンプレックス

他人にプレゼントしたがる人がいます。相手を喜ばせることが嬉しいのです。プレゼントをもらった相手は感謝の言葉しか言えません。その感謝が真実であれば、贈った人、もらった人の双方が幸せです。しかし、こういう場合もあります。その感謝はうわべだけで、本当はもらった人が有り難迷惑の場合です。

プレゼントする方は、自分は良いことをしたと単純に思い込んでいます。実は、感謝の言葉しか言えない立場に相手を追い込んでいます。プロのボランティアはいつもこのことについて思い巡らしています。相手の感謝は本当の感謝か、それともその感謝の裏側には有り難迷惑が隠されているのかも、と思い悩んでいます。

表題は、「誰かを救って自分自身の存在価値を証明したいという願望」を意味します。そういう願望があることは、本人にはなかなか自覚できません。無意識の願望です。その裏には抑圧された承認欲求があります。願望の結果は、悪意なき自己満足に陥ります。

善意にも、バスや電車の中で席を譲る小さな親切から、大は途上国への支援などアメリカの善意もあります。善意を施された側は有り難迷惑、善意を施した側は悪意なき自己満足。こうやってすれ違う場合もあるのです。

善意は誰からも文句を言える筋合いではありませんので、その扱いには、善意の実行者は常に気配りが必要です。


畑(他人の)からタネを拾ってきてうちのベランダに蒔いた。ようやく実ってきたシシトウ?
P1060163

2020年9月11日 (金)

この人誰だっけ

電車の中や通りで出会って挨拶を交わしても、相手の名前がどうしても出てこない時があります。相手は私を覚えていてくれているようなのですが、私の方は顔は見覚えがあっても名前までは出てこない、というケースがよくあります。会話の間中、焦りながら相手の名前を思い出そうと努力します。それでなくても私の脳は老化が進んでいますので、その努力もたいていは徒労に終わります。

そういう場合は丁寧に素直に、「失礼ですが、お名前はどなたでしたか」と正直に尋ねるという友人もいましたが、私はそこまで正直ではありません。こちらからさり気なく様々な質問を繰り出して、徐々に双方の時代と場所を限定しようと努力します。そのうち相手には、「俺の名前を忘れているな」と感づかれてしまいます。私の背中に汗が流れます。相手が感づいてくれて、それとなく自分から名前を名乗ってくれる場合もありますが、一番まずいのは、相手の名前を聞いた後でもまだその人とのつながりが思い出せないようなケースです。これが最悪です。こういう時は、会話をそこそこに切り上げて退散します。
 
それでいて、その日の夜の寝ている時に、急に「あっ」と叫んで名前やどこでお付き合いのあった人だったかを思い出します。とても悔やみます。が、もう後の祭りです。最近は人の名前だけでなく、物の名前もすぐ出てこなくなりました。かなりヤバイです。この間なんか、とその物の名前をここで例に挙げようとしましたが、それが何だったかを忘れてしまいました。何かのカタカナ語だったような気もしますが、チョーヤバイです。


もうすぐ本格的な秋が来る
P1060138
P1060151

 

2020年9月 8日 (火)

みんなと仲良くはできない

「全ての国と仲良くしよう」、「アメリカとだけ仲が良くてもダメだ」。共産党や社民党の人たちはよくこう言います。「アメリカと仲良くするな」と言っているわけではありませんので、この主張は正しいと思います。正しいが現実的ではないと思います。

国会内で様々な政党が、口々に他の党の非を鳴らし責め立てています。同じ党の中でさえ派閥を作って他の派閥と対立しています。全然みんなと仲良くなんかしていません。議論しているだけで本当は仲が良い、というのはウソだと思います。みんなと仲良くなんてどだい無理なのです。

私たちは自分と同じ意見の仲間で集まって固まろうとします。一緒なら安心で、仲間に共鳴してもらえます。数を頼めば、外に向かって自分の意見を通しやすくなります。国や政党がそうなら、クラスや近所の人も同じです。人間の習性だから仕方ありません。

だから、アメリカとだけ仲良くてもダメということは、早晩他のどこかの国とだけ仲良くするということに他なりません。

<今日のメロディー>
赤とんぼ♬
https://youtu.be/gvPTZOJvAqo

2020年9月 4日 (金)

「それ」はいつ起きるのか、「これ」はいつ終わるのか

「2001年宇宙の旅」というSF映画は、今から52年前の1968年に初公開されました。地球外知的生命体との遭遇や、宇宙船内の人工知能HALが乗組員を攻撃するシーンなどがありました。SFですから空想は全くの自由ですが、そういうことも未来には起こり得るという多少の前提はあります。当時の人たちが2001年という近未来をどのように想像していたのかを、この映画からある程度窺い知ることができます。

翌年の1969年、アポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げました。それ以降、2000年代を舞台にしたたくさんのSFが生まれました。核戦争や核のテロ、ロボットが人間を襲う社会、知的生命体とのファーストコンタクトや宇宙人襲来等々が主要なテーマでした。今でも依然それらがSFの主要テーマであり続けています。ところが2000年代に入って既に20年が経ちますが、このどれもがまだ実際には起こっていません。知的生命体はおろか、単純な原始的生命すら地球以外の星では確認されていません。「それ」は一体いつ起きるのでしょうか。

それでいて戦争だけは相変わらずです。「2001年宇宙の旅」が公開された1968年に「プラハの春」がありました。旧ソ連軍がチェコに侵攻しました。その前後には第三次中東戦争、中ソ国境紛争がありました。1965年にアメリカが軍事介入したベトナム戦争は、およそ10年間続きました。

今でも戦争、内戦、紛争が世界のあちこちで続いています。チンパンジーと枝分かれした700万年前から、ヒトは水や食べ物をめぐって他のグループとずっと縄張り争いを繰り返してきました。700万年も続いたことですから、100年や200年くらいでは簡単に終わらないのでしょう。一体「これ」はいつ終わるのでしょうか。

<今日のメロディー>
里の秋♬
https://youtu.be/e2vkuDPLqYo

 

 

 

2020年9月 1日 (火)

夢はウソをつかない

黒澤明監督の映画に「夢」という作品があります。この作品は8つの夢の物語で構成されています。それぞれの夢物語の根底にあるメッセージは、人の持つ根源的な不安だと思います。不安は願望の裏返しです。様々な内容の不安と願いを、それぞれの夢物語の中で黒澤監督は表現したかったのではないでしょうか。

どういうわけか人を殺して床下に死体を埋めていたような気がする。長いことそれをすっかり忘れていたが、ぼんやりと思い出されてしまい、もし本当だったら大変なことになる、どうしようという不安に襲われる。そういう夢を見たことが再三あります。私が抱える何かの不安が、人殺しという具体的な形に姿を変えて夢の中に現れたのだと思います。

人の臓器は実にうまく出来ていて、持ち主が知らないうちにそれぞれが様々な機能を果たしてくれています。持ち主が眠っている間に、脳が勝手にやっているのが夢です。人の臓器の最高位にある脳がやっていることですから、夢に意味がないわけはないだろうと想像します。本人でさえ自覚していない潜在的な不安を、形のあるものにして昇華しているのが夢ではないでしょうか。

私ももちろんそうですが、私たちは大なり小なり外装を取り繕って生きています。とりわけ外に向かって強い言葉や態度を示す人は、それを鎧に内にある強い不安を無意識のうちに隠しています。ところが夢の中ではそれを隠しきれずに、その不安が正体を現してしまうのです。

夢は不安を表現し、不安は夢となって現れます。人は夢の中では取り繕いもウソも出来ません。トランプさんは夜どんな夢を見ているのでしょう。ちょっぴり興味があります。

<今日のメロディー>
虫の声
https://youtu.be/St1kFEFvEaw

« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »