« コロナで分かったこと | トップページ | 自分では気づかないこと »

2020年10月16日 (金)

学校給食の思い出

小学校の階段下に、ドラム缶の空容器が置かれていました。元々は脱脂粉乳が入っていたようです。缶の表面に、人の手が握手をした図柄と星のマークが描かれていたのを覚えています。あれはアメリカからの援助物資だったのでしょうか。私にとっての学校給食の思い出は、まっすぐにこの脱脂粉乳に向かいます。栄養価はあったようで、私たちの年代の成長を支えてくれました。でも非常に不味かったです。もう60年以上昔のことになります。

当時の給食に配られた肝油のことも覚えています。最初はかわり玉のような形をしていましたが、そのうち今で言うお菓子のグミのような食感の円錐形に変わりました。私たち子どもの栄養不足を補うためのものだったようです。当時はそんなことは知らずに食べていましたが、ちょっと変な味だったのを覚えています。

給食の食器はアルマイト製?で、中を3つくらいに区分けされたプレートとカップでした。最初の頃だけだったと思いますが、その食器を布袋にいれて自宅から持参し、学校で食べた後はまた食器を汚れたまま家に持ち帰りました。どうして学校で私が食後に洗わなかったのか今思うと不思議ですが、学校では洗わせない指導があったのかもしれません。(それとも私だけが洗わなかった?)時々残りカスが布袋に染みついて、とても嫌な臭いがしたのを覚えています。

小学校低学年の頃は教室の数が足らず、私たちは二部交代制で登校しました。通常通りに朝に登校するクラスは早番、昼頃から登校するクラスは遅番と呼ばれました。確か一週間毎に早番と遅番は交代しましたが、遅番になると学校はいきなり給食から始まります。一番の楽しみが一番最初に終わってしまうので、私は遅番の週が嫌いでした。

栄養不足を補うための脱脂粉乳も肝油も、今は給食には出ません。食器もアルマイト製ではなく、持ち帰りもありません。早番遅番ももちろんありません。給食にフランス料理やズワイガニが一人一匹出る小学校が今はあるそうです。良い時代になりました。

<参考>
全国の国公立私立小中学校の学校給食実施率(平成30年度)
*小学校 99.1% *中学校 89.9%
横浜市立中学校は学校給食は実施していません。

1ヶ月半後のランタナ。生命力にあやかりたい。2020.8.28→ 10.16
P1060110
P1060326
P1060333

<今日のメロディー>
紅葉♬
https://youtu.be/CwsuMUiztF0

« コロナで分かったこと | トップページ | 自分では気づかないこと »

教育・学校」カテゴリの記事

コメント

ヨッキーさんへ
コメント、ありがとうございます。
懐かしいお話を伺いました。思い出しました。小学校の高学年(4年生か5年生)の頃、担任の先生が質問しました。「この中に家にテレビがある人?」。クラス(50人以上)の中でたった一人の女の子(石屋さんの子)が手を挙げました。私の家にはありませんでしたので、近くの食堂(駄菓子屋)でプロレスとか、見せてもらいました。 くりりん

今回の「あまだれ」懐かしいお話ですね。
進駐軍が配布したもですね。昭和21年頃から25年位に生まれた人達共通の味覚記憶ですよね。
私は田舎育ちですから二部授業はなかったです。でも、脱脂粉乳も肝油も食べました。
パンを食べる習慣も給食のおかげですかね。「三坂屋」という店で作っていました。硬くて時間内に食い切れなかったです。家での食事は「なす」「きゅうり」「キビナゴ」「トマト」「カボチャ」「オクラ=ゴーヤ」などが多かったです。小学生の頃は毎日同じような献立でしたね。(どこの家も)中学生になって少しづつ変化が出てきました。(あまり代わり映えはしませんでしたが)姉が働くようになって電化製品が徐々に増えてきました。高校に行く頃には随分変わったように思います。(冷蔵庫で保管するようになったせいでしょうか)
70歳を過ぎると昔日のあれこれが懐かしく鮮明に思い出されます。不思議ですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« コロナで分かったこと | トップページ | 自分では気づかないこと »

2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ