日記・コラム・つぶやき

2020年10月20日 (火)

自分では気づかないこと

ある日、生徒の保護者から理不尽な苦情申し立てがありました。苦情を受けた職員からその内容を聞いた私は、思わずかっとなって言いました。「だったら○○○と言い返せばいい!」。そうしたらその職員から、「それでは相手と同じレベルになってしまいます」と、たしなめられてしまいました。相手は若手の職員でしたが、私は恥ずかしくなって自分の短慮を反省しました。

ツイッターでは、上の私のように他人からの批判的な言葉にすぐ頭に来ちゃう人がいます。頭に来るくらいですから、確かに相手の言葉も汚い場合が多いのですが、言われた方も同じような汚い言葉で反応してしまいます。多分生身の人間同士では使わないような言葉が、SNS上ではよく行き交います。本人たちはあまり気づいていないようです。

結婚式に呼ばれて披露宴から帰宅した後、自分の白ネクタイが汚れているのに気づきました。どうやら披露宴で食事をした際に、スープを口に運ぶ時にこぼしたらしいのです。私はがっかりしました。私の最近の独り言もそうですが、これは明らかに老いの兆候でしょう。階段や坂道を歩く時の姿勢や、電車に乗車した時の空いた席を探す視線や仕草にも、多分自分では気づかない老いの兆候が現れているような気がします。

視線と言えば、綺麗な女の人に出会うと私はチラチラと視線を送るそうです。妻がそう言いました。これは昔から、だそうです。綺麗な女の人に出会うと誰でも自然と目が行きますが、私は無関心を装って他人にはその視線を気づかれていないと思っていました。妻が言うには、「昔からもうバレバレもいいところ」、なんだそうです。

自分では気づいていないことって、結構たくさんありますね。

 

里山ガーデン(時折陽が差していたせいか、人出がありました)2020.10.16
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2020年10月13日 (火)

コロナで分かったこと

コロナで分かったことがあります。第一に、医療技術と技術革新が進んだ割には、世界は意外に脆いと分かりました。弱毒性の感染症に対して、こんなに脆いとは思いませんでした。強毒性のウィルステロがあったら、どう対応できるのでしょうか。

災害対策には、中国のような専制国家が強いことも分かりました。政府の意のままに国民をコントロールします。国民の自由は制限されますが、感染症対策には有効です。日本では、接触確認アプリの「COCOA」は、導入率はせいぜい15%です。日本の医療機関には、患者の状況を国に報告する情報システム「ハーシス」があります。この導入率は医療機関の約40%に過ぎません。いずれも中国ならほぼ100%になるでしょう。日本や欧米の民主主義は、回りくどい妥協の所産です。個人の自由を重んじるばかりに、感染症対策には不向きです。日本の核のゴミや汚染水の問題も、中国ならあっという間に片付くでしょう。

日本人の同調圧力の強いことも分かりました。みんなマスクをしています。マスクしていなければ非難がましい目で見られます。感染者や医療従事者の排除もありました。周りを見回して自分が批判されないようにいつも気にかけています。同調圧力は不安に由来します。私も含めて、日本人は先行きに言い知れぬ不安を抱えています。

トランプさんの性格もはっきり分かりました。マスクをつけないことを勇気の証しと考えています。逆に言えば、マスクをする勇気がないのです。短気でよく怒る人は、繊細で弱い存在です。自分を守ろうとする本能が強いので、少しでも批判されたと思うと過剰反応します。他人を非難する強い言葉の裏には、自己防衛と怯えがあります。気の毒な人です。あんな人をトップに選んだ米国民の良識を疑います。逆に言えば、それが米国の強みかもしれませんが。 

<参考>
世界のコロナ感染者数は3,670万人、うち死者数は106万人(2020.10.10)

通院する病院のすぐそば 2020.10.12
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2020年9月29日 (火)

持ったが病で治らない

相手を揶揄するような新聞コラムを読んで、TVコメンテーターの声高な正義の主張を聞いて、SNSで相手を誹謗中傷する書き込みを見て、私は時々思います。責任の埒外に自分の身を置いて、安全地帯から批判だけしている。読者視聴者からそう思われてしまうのではないかと、彼らは心配にはならないのでしょうか。

弱者の味方をしたつもりで、弱者にも一矢があるとでも言いたげですが、実際には彼らは強者の側の人間です。橋下さんは時々言います。「評論家は楽だ。実行しないでいいんだから」。評論家だって私は大変だと思いますが、橋下さんのこの言い分のもう半分は当たっているような気もします。

相手の立場に同情や理解ばかり示していると、真実を追及しようとする力が落ちるかもしれません。批判を抑えて敵を作らないことで、自己防衛を図っているという側面もあるでしょう。それでも私は思います。その立場でなければ分からないことがありますが、私たちの大半はその立場には立ちません。もし同じ立場に立ったなら、ひょっとして自分だって同じようなことをするかもしれないという気持ちを、多少は持ってもよいのではないでしょうか。

「その人の靴を履いて1マイル歩いてみるまで人を批判するな」という外国の諺もあります。そういう気持ちを心の隅にいつも持ちつつ、時々私も揶揄する側のコラムニストになってしまいます。持ったが病で治りません。

稲刈りのあと(近辺の田んぼ)
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2020年9月25日 (金)

未完の完

最近の映画ではあまり見かけませんが、昔の映画では終わりの画面に「完」という文字がよく出てきたのを覚えています。それが終わりという意味なのは、見ていた子どもの私にも分かりました。完全、完璧、完成、完了という言葉があるくらいですから、「完」という言葉には、「全く文句のつけようがないくらいに仕上がった」、というような意味がどうやらあるようです。

人生に悩み事心配事は付き物で、それあってこその人生。もしそうしたものがなくなれば、それは人生自体が既に終わったということ。こういう良い話を最近耳にしました。なるほどそう考えればいいのかと、目からウロコでした。

絵描きは、明日の朝起きたらキャンバスにあの色を塗ろう、と思って夜、床に入る。そのまま朝が来なかったその日まで、明日こそはの思いを毎夜毎夜繰り返して死ぬ。これは絵描きのH先生から聞いた話です。なるほどそうだろうなと思い、これにも感心しました。

上の二つの話に共通しているのは、「未完」という言葉です。悩み事や心配事が全て解決されてゼロの状態なら「完」、自分が塗りたい色を全て塗り終わって作品が仕上がれば「完」ですが、実際には悩み事心配事は尽きず、色は塗り終えず作品は出来上がりませんから、ここでは「未完」になります。多分大多数の人の人生とは、結局はそういうものなのかなと思います。でも、それはそれでそれなりに人生を全うしたということになるわけですから、まさに「未完の完」です。たとえ未完の大器のまま人生が終わったとしても、その人の人生は素晴らしく「完」だと思います。

<今日のメロディー>
どんぐりころころ♬
https://youtu.be/8j_4WtwnbX0

 

 

2020年9月15日 (火)

メサイアコンプレックス

他人にプレゼントしたがる人がいます。相手を喜ばせることが嬉しいのです。プレゼントをもらった相手は感謝の言葉しか言えません。その感謝が真実であれば、贈った人、もらった人の双方が幸せです。しかし、こういう場合もあります。その感謝はうわべだけで、本当はもらった人が有り難迷惑の場合です。

プレゼントする方は、自分は良いことをしたと単純に思い込んでいます。実は、感謝の言葉しか言えない立場に相手を追い込んでいます。プロのボランティアはいつもこのことについて思い巡らしています。相手の感謝は本当の感謝か、それともその感謝の裏側には有り難迷惑が隠されているのかも、と思い悩んでいます。

表題は、「誰かを救って自分自身の存在価値を証明したいという願望」を意味します。そういう願望があることは、本人にはなかなか自覚できません。無意識の願望です。その裏には抑圧された承認欲求があります。願望の結果は、悪意なき自己満足に陥ります。

善意にも、バスや電車の中で席を譲る小さな親切から、大は途上国への支援などアメリカの善意もあります。善意を施された側は有り難迷惑、善意を施した側は悪意なき自己満足。こうやってすれ違う場合もあるのです。

善意は誰からも文句を言える筋合いではありませんので、その扱いには、善意の実行者は常に気配りが必要です。


畑(他人の)からタネを拾ってきてうちのベランダに蒔いた。ようやく実ってきたシシトウ?
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2020年9月 1日 (火)

夢はウソをつかない

黒澤明監督の映画に「夢」という作品があります。この作品は8つの夢の物語で構成されています。それぞれの夢物語の根底にあるメッセージは、人の持つ根源的な不安だと思います。不安は願望の裏返しです。様々な内容の不安と願いを、それぞれの夢物語の中で黒澤監督は表現したかったのではないでしょうか。

どういうわけか人を殺して床下に死体を埋めていたような気がする。長いことそれをすっかり忘れていたが、ぼんやりと思い出されてしまい、もし本当だったら大変なことになる、どうしようという不安に襲われる。そういう夢を見たことが再三あります。私が抱える何かの不安が、人殺しという具体的な形に姿を変えて夢の中に現れたのだと思います。

人の臓器は実にうまく出来ていて、持ち主が知らないうちにそれぞれが様々な機能を果たしてくれています。持ち主が眠っている間に、脳が勝手にやっているのが夢です。人の臓器の最高位にある脳がやっていることですから、夢に意味がないわけはないだろうと想像します。本人でさえ自覚していない潜在的な不安を、形のあるものにして昇華しているのが夢ではないでしょうか。

私ももちろんそうですが、私たちは大なり小なり外装を取り繕って生きています。とりわけ外に向かって強い言葉や態度を示す人は、それを鎧に内にある強い不安を無意識のうちに隠しています。ところが夢の中ではそれを隠しきれずに、その不安が正体を現してしまうのです。

夢は不安を表現し、不安は夢となって現れます。人は夢の中では取り繕いもウソも出来ません。トランプさんは夜どんな夢を見ているのでしょう。ちょっぴり興味があります。

<今日のメロディー>
虫の声
https://youtu.be/St1kFEFvEaw

2020年8月28日 (金)

意識化すれば実現する(思うは招く)

「相手が電話に出なかったのは私が嫌いだからだ」、「通りすがりにあの人が笑ったのは私をバカにしているんだ」(←根拠のない決めつけ)。「これが失敗した。だから他のものも私は全部ダメだ」(←過度の一般化)。「100点でなければ0点と同じだ」(←「ゼロか100か」思考)。こうしたネガティブな感情(つまりは、不安や怒りや自信喪失)は自然に湧いてきます。認知のクセ(自動思考)です。周囲は油断ならない人たちばかりと考え、なんとなく気付いている弱い自分を彼らからこうして守ろうとします。無意識の自己防衛です。

自己防衛の根底には何があるのでしょう。仲間外れにされたくない、他人に認めてもらいたい気持ち(承認欲求)があります。他人からバカにされたくない、他人よりも優れたい気持ち(優越欲求)もあります。優越性の追求は人間の本質ですが、過度な優越欲求の裏側には劣等コンプレックスがあります。劣等コンプレックスを持っているからこそ、優越欲求が強いのです。自己防衛が強い人ほど、過去の失態や失言を反芻します。他人にどう思われるか、他人の評価を怖がります。ネガティブな感情はより強く、頻繁に出てきます。

ネガティブな感情で悩んでいる人は実はたくさんいます。私もそうだと思います。人は、自分が持っている予測を現実化する行動をとる無意識の傾向があります。その予測(人生脚本)の現実化として自分の人生を生きています。人生を悲観的(ネガティブ)に見ていれば悲しく重い人生を送ることになり、人生を楽観的(ポジティブ)に見ていれば楽しく明るい人生を送ります。

ネガティブな感情は自然と湧いてきますが、ポジティブな感情は意志によって起こります。それを固く信じていれば、それは実現します。すべては認知次第です。認知が人の成り立ちと人生を作ります。

人生の最終盤に差し掛かり、ようやくこのことを分かりかけています。時折、認知のクセには負けそうになりますが、誰しもが悩みと心の傷を持っていて、その中を必死に生きている、と思って私も生きています。

<参照>
「思うは招く(脳は信じやすい)」2019.7.23
http://nobu-chin.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-3a0b48.html

ベランダに元々設えてあったプランター。来年の全戸一斉の工事以降は、このプランターの中に土を入れてはいけないことになった。爆裂を避けるため。(上の写真は私のベランダの爆裂)この工事の準備のために、私は花が終わったランタナの枝を切り、キリタンサスの葉っぱを刈り取った。(下の写真)
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2020年8月21日 (金)

PCR検査

PCR検査を受け、3日後に結果が陰性だっとしても、検査日の翌日に感染しているかもしれません。仮に陰性証明書をもらったとしても、検査日当日に感染していないだけの証明にしかなりません。

PCR検査自体が、100%完璧な精度の検査ではありません。時々間違えます。あるいは感染していてもその人の進行が遅く、陽性反応が出てこないこともあります。70%程度の精度になります。

PCR検査は、症状(発熱、咳、だるさなど)が出た人(医師が認めた場合)や、濃厚接触者に限って検査したほうがよいと思います。感染防止の目的があるので、検査費用は公費負担で無料になります。国や自治体の責任ですが、これらの人は早めに検査を受ける必要があります。他には、高齢者と持病のある人の死亡率が高いので、高齢者施設に入所する人、これから他の病気で入院する人、高齢者施設や病院で働く従事者、及び日本に入国する人が対象でしょう。

上記以外の希望者すべてにPCR検査しても、今の日本の体制では医療資源とお金の無駄だと思います。やるなら国民全員を定期的(年間数回)に、しかも無料でやるべきです。そうすれば無症状の感染者を見つけて隔離できるし、貴重なデータとなる国民の感染率も明らかになるでしょう。

もっと言えば、PCR検査の結果、万一陽性になっても、感染者への差別や排除は最も有害です。無駄や有害なことは、やらない方がよいと思います。

ベランダで育てたブラックベリーを冷凍した。これからジャムにするつもり。昨年の収穫はこの3倍だったのに。
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2020年8月14日 (金)

レッテルを貼れば安心

東電=情報隠し、沖縄の米軍=横暴、官僚=嘘つき、大企業=金儲け、政府=無策・・。私たちは他者にレッテルを貼るのが大好きです。そう言えば、教育委員会及び学校=保身、というレッテルもあります。日本=軍国主義という、中国や韓国が大好きなレッテルもあります。そうとばかりは言えないことを承知の上で、あえて相手にレッテルを貼ろうとします。どうして私たちはこうもレッテル貼りが好きなのでしょうか。

政党の主張を聞いていると、他党にレッテルを貼って自分の立ち位置を確保しようとする意図を感じます。どんな相手もどんな物事も複雑で多面性がありますから、自分が100%正しくて相手が100%間違っていることなんて滅多にありません。でも、野党なら与党を攻撃しないわけにはいきません。もし複雑な多面性に立ち入れば、自分の立ち位置が不明確になる恐れがあります。だから野党が分かり易いレッテルを与党に貼ろうとするのは、ある面やむを得ないのかもしれません。

そのレッテルが一部の真実に過ぎず全部の真実ではないことをたとえ理解していても、自分の主張を展開する上では、そのレッテルをスタートにした方が都合がよいのです。レッテルを貼っているうちに、相手はレッテル通りだと固く信じ込むこともできます。単純に分かり易くした方が安心なのです。反対に、レッテルとは違う相手の価値の一部でも認めれば、自分の立場や考え方への自信が揺らぎ不安定になるのが怖いのです。

こうして私たちは、他者への攻撃のため、そして自身の安心のため、今日もレッテル貼りに勤しみます。

<今日のメロディー>
虫のこえ♬
https://youtu.be/St1kFEFvEaw

2020年8月 4日 (火)

日本人がマスクをする理由

日本人はほぼ全員がマスクをします。私もします。但しコロナには、マスクは完全防御ではありません。たとえマスクをしていても、マスクの品質やつけ方によって他人から感染(うつ)される場合があります。マスクをする主な理由は、自分から他人に感染(うつ)さないため、ということになります。

自分が無症状の感染者であった場合は、他人に感染させる恐れがあります。自分が感染者であることに自分で気づかない場合は、マスクは特に適切だと思います。そのあと自分が発症して陽性者だと判明すれば、2週間以内に会話した知人(濃厚接触者)にすべて連絡して、検査を受けてもらわなければなりません。迷惑を掛けることになります。その上、会った知人が陽性になったら、かなりの迷惑です。マスクをするのはこれを避けるためになります。

もう一つ理由があります。同調圧力です。マスクをしないと、周りには迷惑な人、変な人と思われるのを一番恐れるからです。感染すれば世間からバイキン扱いされます。この同調圧力はどこから来るのでしょう。 

地震と津波、噴火、台風、大雨と河川の氾濫。日本は自然災害の多い国です。山と川だらけの国です。自然災害のどれかが、毎年のように日本のどこかにやってきます。家を破壊し田畑を流し人命を奪います。せっかく実った稲穂も流されます。自然災害は誰の責任でもありません。被害に遭ったのも自分だけでなく、地域のみんな同じです。ある程度仕方ないものとして日本人は受け入れざるを得ませんでした。災害を受容しながらも、それでも再起する作業は一人では出来ません。地域のみんなで協力します。

日本人の協調性、秩序、我慢強さ、不屈の精神。こうした優れた特性は、恐らく毎年やってくる自然災害が与えたものでしょう。反面この特性は、同質性を保持するために、異質のものやよそ者を嫌い、自主性に欠けて扇動されやすい、といった負の特質も私たちに与えたようです。異物や異分子をあぶり出して排除や差別、SNSでの炎上や袋叩きなどです。孤立する不安が根底にあります。マスクしてみんな同じで安心したいのです。

<今日のメロディー>
水遊び♬
https://youtu.be/6xTpzULS83U

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