宇宙・SF

支配者の論理

  他の生き物を捕食することで生きている動物はたくさんいます。人間も例外ではありません。人間は他の動物を食べて生きています。全ての生命は生きるようにプログラムされているはずですから、人間の都合で殺されることに、殺される動物は同意してはいないでしょう。人間以外の動物は食べられるだけでなく、観察されたり、ペットとして飼われたりもします。これも人間の都合です。やむを得ない場合が多いとはいえ、私たちは私たちの都合で、彼らの意志とは関わりなく、この地球上で他の動物を支配しているわけです。

  この宇宙には、人間よりも桁外れに高い知性と科学力を持った生命体が存在するかもしれません。もし彼らが地球にやってきたなら、遅れた私たち人間を興味深く観察することでしょう。あんまり珍しいので、宇宙動物園の檻に入れて保護しようとしたり、ペットとして飼育しようとするかもしれません。最悪の場合には、私たちは彼らの食糧の一部にされてしまうかもしれません。もし彼らが私たちを支配しようとするなら、当然私たちは抵抗するでしょう。でも彼我の力は格段に違います。その抵抗は甲斐ないものに終わります。

  私たちをはるかに越えた存在に、私たちの基準でその行為の是非を問うことは出来ません。私たちには知性があると言われるかもしれません。でも、猿やイルカにも一定の知性があります。私たちが猿やイルカにしていたことを、彼らが人間に対して行ったとしても、どうしてその非を問うことができるでしょうか。種を越えれば、善悪の基準すら支配者のものとなるのです。私たちには徳性もある? 本当ですか?

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星に還る

 最近のニュースで、彗星から生命の源になるアミノ酸が検出された、という記事を読みました。現在の地球上の生命の源も、全て地球外の宇宙からもたらされたとする説の正しさを補強するもの、だそうです。

  生命に限界があるように、宇宙の星にも限界があります。私たちの地球も例外ではなく、遠い将来のいつかは、死の星になるか、融けてなくなる運命にあります。もちろんその時には、地球上の生物も全て、地球と運命を共にします。人類がその時までに地球外の星に移住していない限り、かつての恐竜同様に人類も絶滅します。

  地球も最後にはバラバラに砕けて飛散し、その無数の破片が宇宙を漂うのでしょう。そしてその破片のうちのいくつかが、偶然に他の星に隕石として落ちるのかもしれません。更に偶然に、その隕石のうちのいくつかには、かつての地球上の生命の残滓が僅かに付着しているかもしれません。そして更に偶然に、たまたま落ちたその星が、新しい生命の誕生に適した星で、たまたま落ちたその場所も、新しい命の揺りかごになる適地かもしれません。

  この偶然の連なりによる確率は、恐らく天文学的な稀少でしょう。でも、この宇宙の空間と時間の無限を考えれば、起こり得ないことではありません。つまり、私たちの生命の一部だったものが、他の星々で再び新しい命を育むのです。私たち人類を含む地球上の全ての命も、かつて他の星々で生まれた命の一部をもらって作られたのかもしれません。こう考えれば、たとえ形態は違っても、宇宙の星々の生命は全て兄弟ということになります。生命の本質は循環にあるのでしょう。私たちは星からやってきて、また星に還るのです。

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終わりの時、始まりの時

  人類がもし絶滅するとしたら、どういうケースでしょうか。地震や津波のような自然災害は局地的ですから、人類全体の絶滅にはつながりません。感染力が強く、致死率も極めて高い、突然変異の新型ウィルスが発生するかもしれませんが、その新型ウィルスにも耐性力をもった特異な人たちも、きっと少数存在するはずです。核兵器が拡散し、何かのきっかけで全面核戦争に発展するかもしれませんが、一部の人たちは核シェルターできっと生き残るでしょう。地球温暖化などの環境変化にも人類は影響を受けるでしょうが、最終的にはこれも克服できそうです。

 そうなると、人類絶滅につながるのは、巨大隕石の落下とか、太陽の急激で異常な変化のような、宇宙規模の突発的な天文災害しか考えられません。もっともそうしたとてつもない災害に見舞われる前に、人類が他の星々へ移住を進めていれば、絶滅を免れることはできます。いずれにしても太陽はやがて燃え尽きます。それまで幸運にも人類が生き延びていれば、多分、人類はとうに地球を捨てているでしょう。移住先の新しい星で、その星の環境に適応できるように特異な進化を遂げる人類もいるかもしれません。かつてアフリカから地球規模で起きた人類の拡散と進化が、地球から宇宙規模で起きるわけです。

  2億年近くも生きてきた恐竜も絶滅しました。人類は誕生してまだ400万年です。人類の今後の叡智に期待はしていますが、それでも最後は終局の時を迎えるのでしょうか。それとも、新しい星々で、それぞれが独自の進化を遂げて、また新たな文明を築いていくのでしょうか。まだまだ遠い遠い未来のことだと想像していますが、必ずやってくるその時代、その時に生まれついてしまった人たちには、大変な運命としか言いようがありません。仮に首尾良く脱出できたとしても、住み慣れた地球を後にする時、人々の胸中にあるのは悲嘆なのでしょうか、それとも希望なのでしょうか。

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限りなくゼロに近い確率

  スペースシャトルは時速3万キロです。結構速い乗り物ですが、これに乗っても土星までは6年かかります。もし光速と同じスピードの乗り物があれば、土星よりもっと遠い、太陽系の一番果てにある冥王星でも、5時間半で行くことができます。太陽系から一番近い恒星(太陽のような星)だと、スペースシャトルなら20万年かかります。でも、光速ならわずか4年で行くことができます。1秒間に地球を7周半する速度ですから、流石に光は速いです。でもその光速でも、この宇宙の広大さには勝てません。私たちの銀河系と同じような銀河が、この宇宙には2,000億あるそうですが、すぐお隣の銀河(アンドロメダ星雲)でも、光速で230万年かかります。宇宙の果てまでなら、光速でも150億年かかります。時速3万キロのスペースシャトルだと、宇宙の果てまで150億年×50,000倍の年数がかかることになります。宇宙は気が遠くなるほど広大無限であることが分かります。

  この広大な宇宙のどこかに、地球と同じような環境をもった星があり、そしてそこには私たちと同じような、あるいはそれ以上の知性をもった生命が存在しているかもしれません。仮にその確率がわずか1千兆分の1としても、この宇宙には私たちと同じような生命が100億以上存在することになります。仮に100億あったとしても、その星と星との間があまりにも離れすぎていますので、生命がその間を渡って来るのがほとんど不可能なのでしょう。つまり、出会える確率は限りなくゼロに近いのです。こうしてお互いその存在に気づかぬままに、その種族とその星は、この宇宙での歴史を終えて姿を消していくのです。

  でも、ふと思いました。確率が限りなくゼロに近かったのは、私たち人類の存在そのものだったのではないかということを。ひょっとして私たち人類は、この宇宙そのものが全くの偶然に誕生したのと同様に、まったくの偶然の10の1千兆乗くらいの偶然の結果だったのかもしれません。人類以外の宇宙人が1種族でも見つかるなら、他にも多分無数にいるでしょう。でも本当にひょっとして、ひょっとすると、私たち人類はこの宇宙では全くの唯一の孤独な存在なのかもしれないと、ふと、そう思いました。

2009_04150003 (←高尾山若葉まつり H21.4.15)

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「私」は宇宙を支配する

  人間は視覚を通して、脳で色を認識します。脳は人それぞれで違いますから、脳の中の色を認識する部分だって、きっと人によって微妙に違っているはずです。私が赤だと認識している赤色と、例えば私の家内が赤だと認識している赤色とが、果たして同じ赤色かどうか知れたものではありません。私の脳は家内の脳よりやや上品なはずですので、私の脳が認識する赤色も、家内の脳が認識する赤色よりはやや上品な赤色、ということになります。つまり、同じものを見て二人とも「これは赤色」と思ってはいても、二人の認識は微妙にずれているわけです。結局「赤色」が本当のところどんな色かは、誰にも分かりません。と言うより、「本当の赤色」など元々ないのでしょう。赤色は、人それぞれの「認識」が決定することになります。

  デカルトは言いました。「我思う、ゆえに我あり」。哲学は勉強したことがないのでよく分かりませんが、デカルト先生のおっしゃることに従えば、色だけでなく「存在」も「認識」が決定する、ということになるのでしょうか。「認識」の主体は「私」ですから、その「私」がこの世から居なくなれば、「私」を含めて全ての「存在」もなくなります。つまりは、この世も「私」あっての世、ということになります。かくして「私」はこの世を、いやこの宇宙を支配することになるのです。分かりましたか。                   

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宇宙人と出会う確率

  明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

  宇宙には2000億の銀河があり、それぞれの銀河には2000億の恒星があるそうです。つまりこの宇宙には、2000億×2000億の太陽のような恒星があり、そのそれぞれの太陽が地球や火星のような惑星を持ち、そしてそのまたそれぞれの惑星が月のような衛星を持っていると考えると、つまりは気が遠くなるような数の星がこの宇宙には充ち満ちていることになります。全宇宙の星の数は、地球上の全砂浜の砂粒の数よりも多いということですから、宇宙がいかに大きいかということが分かります。

   アメリカでは、宇宙人のいる可能性のある星に向けて、電波望遠鏡からメッセージを送信しています。もっともこのメッセージがその星に届くのは2万4千年先で、宇宙人がすぐに返信したとしても、さらに2万4千年かかることになります。人体図などを彫った金属板を乗せた探査機も宇宙に送り出していますが、こちらは最も近い惑星系に到達するのは西暦3万4500年ということですので、いずれにしても気の長い話です。

  生きているうちに是非宇宙人に会いたいものだと常々思っています。でも残念ながらその夢は果たせそうもありません。この宇宙の膨大さを前にすると、私たち人類のまだ未熟な科学力では、宇宙人と出会える確率は限りなくゼロに近いと思います。私たち現代人は、人類の歴史からすると少し早く生まれすぎたようです。あともう1000年ほど後に生まれていたなら、この確率はもう少し上がったかもしれません。人類の科学力に今のところ期待できないとすれば、あとは宇宙人の科学力に期待するしかありません。でも、いかに優れた宇宙人の科学力でも、この宇宙の深遠な「時の海」を渡ってくるのは、なかなか大変だろうと思います。

   地球上の人類が内輪もめをやめ、連帯と団結を強めるには、あとはもう宇宙人の出現を待つしか手はありません。私は宇宙人の出現を心の底から望んでいます。もちろんそれは、平和的な宇宙人に限りますが。

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ミステリー・ゾーン

  もう40年以上もの昔になりますが、こういうタイトルの人気テレビ番組がありました。当時はたくさんあった、アメリカからの輸入番組の一つでした。30分の完結編で話が展開しますが、登場する主人公はこの中で不思議な体験をします。よく扱われたテーマは「時」で、例えば物語はこんなふうでした。

  現代の厳しい競争社会を都会で生き抜く、初老のビジネスマンが主人公で登場します。一応の成功者ではありますが、彼は人を出し抜いたり出し抜かれたりすることが繰り返される毎日の生活に疲れ果て、人生の目標や意味を半分見失っています。ある日ドライブに出かけると、いつしか自分の生まれ故郷の田舎に来てしまいます。ところが不思議なことに、故郷では時間が遡っており、自分が小さい頃の町がそのままそこに存在しています。自分の家も当時のままにそこにあり、そしてもう既に死んでしまっているはずの両親や、何と11歳の少年時代の自分自身にも出会ってしまうのです。

  少年の自分はそこでは今の自分とは比べようもないほどに生き生きと夏の一日を楽しんでいます。男は少年の自分に公園で語りかけようとします。「今が一番素晴らしい時だよ」と言いたかったのですが、少年は男が語る前に驚いて逃げてしまいます。男は自分が少年時代を過ごした家を訪れ、そこで自分の父親と会い、自分のその思いを少年に伝えてもらおうとします。最初父親は男を異常者と思いますが、やがてはこの初老の男が自分の息子の将来の姿であることを半分認め、最後に男を優しくこう諭します。「ここには君のいる余地はないよ。この世界にいる息子の11歳の夏は一度しかないんだ。この夏はあの子のものだよ。かって一度それが君のものだったようにね。」

  最後に男は元の現在の世界に戻ります。自分はつかの間の夢を見ていたのかもしれないと男は思いますが、ポケットの中には故郷の町で立ち寄った遊園地の入場券の半券が残っています。主人公は確かにその世界に足を踏み入れたのだと視聴者にも思わせます。

  今改めて思い出すと、二度と繰り返せない人生への哀愁がそこに感じられます。もし自分が同じ世界に足を踏み入れたとしたらどうでしょう。やはり「一度しかない今を悔いなく精一杯生きろ」と少年時代の自分に言うに違いありません。でも、「うるせえことを言う変なじじいだ」と思われるのもきっと間違いありません。(18/30)

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タイムマシンはできなかったのか

  道具を使う「ヒト」が最初にこの地球上に姿を現してから、約10万年で私たち人類は現在の文明を築き上げました。もう10万年先の地球文明がどこまで進化しているのか、今の私たちでは想像すら出来ません。恐らく今の私たちの力で空想できる範囲内の文明や科学は、すべて現実化されていると考えてよいでしょう。「タイムマシン」もその一つだといいなと、私は常々考えています。未来の地球人がタイムマシンを使って今のこの地球を訪れる可能性を、私はいつも楽しみにしています。でも、未来の地球人は現在の地球をなかなか訪問してくれていません。何故なのでしょう。理由はいくつか考えられます。

  ①結局、過去へのタイムトラベルは理論的に不可能だった。
有名な「親殺しのパラドックス」というのがあります。タイムトラベルで過去の世界にやってきて、自分の父親(になるはずの男)を殺したら、自分の存在はどうなるのかというパラドックス(矛盾、ジレンマ)です。
 
  ②タイムマシンが完成する前に、地球文明が滅亡してしまった。
全面核戦争がついに起きた。あらゆる薬が効かない超強力な新型感染症が蔓延した。超巨大隕石が地球上に落下した。いずれもそれに近いこと、あるいはその寸前のことは既にこの地球上で起きているわけですので、あり得ない話ではありません。他の天体の知的生命体(宇宙人)の攻撃を受けて、地球文明は悉く壊滅させられたというのも、10万年単位なら考えられます。
 
  ③タイムマシンは完成したが、未来の地球人は西暦3000年以前の地球を訪問することを、何らかの理由で慎重に避けている。戦争を克服できない現代人の野蛮さ、地球環境の汚染等が理由でしょうか。
 
  ④実は既に未来の地球人はこの地球を訪れているが、我々がそれに気づかないだけ。我々が想像もできないようなテクノロジーを駆使しているので、我々には分からないのです。実は慎重に過去の(今の私たちの)地球の歴史を、望ましい方向に修復してくれているのです。私は夢としてこの④の理由を採用したいと思っています。                                                   

  「かの時に我がとらざりし分去れの 片への道はいづこ行きけむ」(H19.1.2)
 皇后陛下美智子様の御歌ですが、今の雅子様の心境でもあるでしょう。恋愛、結婚、そして就職と、人生の岐路に立ったあの時を思い出すと、できれば私もタイムマシンを使って自分の過去の一部を修復したいものです。この御歌は今の私の心境でもあります。
(19/41)

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